正しい水結界の張り方


先日、友人の片岡さんと12年ぶりに再会した。

片岡さんは、「地獄の新聞配達員」や「つぶれにゃんこ」など数多くの作品を世に送り出している造形作家である。まだ地元福岡にいた頃の知り合いで、当時はどんなシーンにも白いヨレヨレのTシャツに黒いジャージのズボンをはき、首からはタオルをかけるというのが片岡さんのお決まりのスタイルだった。またアーノルド・シュワルツェネッガーに憧れていて、冷蔵庫に何枚も貼った切り抜きを日夜眺めながら、自身もストイックに筋肉増強に勤しんでいた。一方でムキムキな体とは裏腹に妙に神経が細く、思い込みの激しいところがあり、あるとき家に行くと、二階へと続く階段のふもとに水を入れたコップが2つ置いてあった。一体これはなんですと尋ねると、片岡さんは「水結界」と答えた。最近家の中にヤバイやつが出るから水結界をはって空気を浄化しているのだ、と。塩ならまだしも水にそんな効果あるのかと甚だ疑問だったが、片岡さんが至って真剣そのものだったのでそのときは納得したふりをした。すべて12年も前の話だ。

そんな片岡さんがひょんなことから東京に出てきており、30分後にそっちに行くから、という連絡を受けた。
まさかあの片岡さんが…!
予想もしていなかった急な再会を前に私は興奮し、まずは何をおいてもやらなければならない用意をした。これだ。

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片岡さんへの最上級のおもてなしである。コップを置いた瞬間にトコトコと愛犬が駆け寄ってきて美味しそうに中の水を飲んだ。しかしまあそれもご愛嬌。

そうこうしているうちに、本当に片岡さんがうちにやってきた。12年ぶりの片岡さんは、当時のムキムキからは予想もつかないほど細くなっていた。また当時、造形作家としての本業の傍ら続けていた新聞配達の仕事も辞めていた。今は作家一本で生活しているという。見た目は激変していたけれど、相変わらず片岡さんの世界は健在だった。東京でついさっき知り合ったばかりの女性に激しくアプローチされて大変だという話を何度もする片岡さん。思い込みの激しいところも変わっていないとわかりほっとした。

話しながらいつ気がつくかと辛抱強く待ったけれど一向に気がつかないので、ついにしびれを切らして、片岡さんあれ見てよ、と階段のふもとに置いた水結界を指差した。すると片岡さんは、ああ…と言いながら今度は階段の上を見て、「上にも置かんといかんっちゃんね…」と真剣な顔をして言った。そうか、水結界の水は上下に置く必要があったのか。思いがけない再会で、12年越しに真実を知った。

翌日、ロングスカートの裾にひっかけて派手に水をこぼしたのを機に、我が家の水結界は早々に解かれた。また片岡さんも、東京観光ののち福岡に帰って行った。

夢のような(酩酊していたこともあり)一瞬の再会を経て、すべては元通り。しかし、一度通り過ぎたかと思った時間とも、こうしてまたひょんなタイミングで思いがけず巡り合えるのだ。たまにこんなプレゼントがあるのだから、やっぱり生きていなければならない。



新装版 こんな僕でも社長になれた

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金で父親に魂を売った息子

地方を巡業していた旅芸人の夫が突然ふらっと現れた。

最近空手を習い出した息子に、上達したか、型を見せてみろ、と言う。息子は言われるままに型を披露する。拳を突き出したり引っ込めたり、足を出したり、引っ込めたり、そんなことしながらなぜかくるくると回る。型とはそういうものらしいのだが、息子が初心者のせいかその様子は格闘技というよりむしろ軽快なダンス。気付くとそばで見ていた父親が動きに合わせてマンボNo.5のメロディを口ずさんでいる。おかげでより一層ゴキケンなダンス。

一通り息子の型の披露が終わると、父親が「あ、動画撮るの忘れた、もう一回やって」とせがんだ。どうせSNSに載せるんだろう、絶対にだめだ、と息子。一度ならまだしも我が子の空手への真摯な取り組みをマンボのメロディで二度も笑いものにしようなんて絶対に許さない、絶対にだ!と私も断固抗議。「分かった、SNSには絶対に載せない、悲しいときに一人で見るだけだから!」と父親しぶとく懇願。いやしかしやっぱりダメだと息子。お小遣いあげるよ、と父親。えっ。露骨に心を動かされる息子。金で釣ろうなんて余計にたちが悪い!息子よ、金のためにプライドを捨ててはいけない、ボロは着てても心は錦だ!母親の正しい声は、酔っ払って気を大きくした父親の一言によってたちまちかき消された。

父親「三千円だよ」
息子「よし、その話ノッた」

交渉はスピーディに成立。
父親の口ずさむ陽気なマンボNo.5のメロディにあわせ、再びノリノリで空手の型を披露する息子。演技後、約束通り父親から現金3000円をせしめ「ママ、俺は金に魂を売ったよ」とにこやかに言い放ち、自分の部屋に戻っていった。


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ところでこれは先日焼いたフランスパン。久々にフランスパンを焼いたがやっぱりフランスパンは難しくて楽しい。オール5の優等生には程遠いけれども、落ちこぼれでもそれはそれで可愛いやつだ。

田舎の親戚の家のようなフランス料理屋に行った


帰省先、福岡でのこと。

いつの間にか近所にフランス料理屋ができたのだがそこがとても怪しい雰囲気なのでぜひ行ってみよう、としきりにすすめる母に連れられて、今日は家族でフランス料理を食べに行った。

実家から車を10分ほど走らせたところにその怪しいフランス料理屋、cafeシャンソンはあった。

店の佇まいを見て驚いた。

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どう見ても民家。

間違えられないようにcafeと書いてあるが、どう見ても民家なのである。

尻込みする我々をよそに母は躊躇なく中に入る。慌てて後に続くと、意外にも陽気なフランス人のおじさんがあたたかく迎えてくれた。建物自体はどこからどう見ても日本の民家なので、まさか本場フランス人が営むcafeとは予想だにせず、我々は再び驚いた。とりあえず、ボンジュール、と言ってみながら当然のように玄関で靴を脱ぐ。客間に通される。

客間はこんな感じだった。

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グッピーの入った水槽や、書籍(『フォレスト・ガンプ』など)、子供のおもちゃ、さらには子供のおもちゃが入っていたであろう空き箱などが雑然と置かれている、完全なる親戚の家。

忙しく働くフランス人店主を目で追いながら母は「ちょっとあっち手伝わんでよかやろか?」などと言う。親戚の家の客間テイストが、客の精神にも影響を及ぼしている。

1500円のランチコースを頼んだところ、以下のような内容だった。

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野菜のスープ

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アボカドサラダ

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トマトのファルシ

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桃のコンポート、バニラアイス添え

フランスのことは良く知らないがおそらくこれがフランスの家庭料理なのだろう。全体的に素朴で体に良さそうな味だった。

聞けば店主はシャンソン歌手らしく、店ではリサイタルも不定期開催しているそうだ。
雑然とした空間ではあるが、いかにも人の良さそうな店主のオーラのせいか、意外にも空気の淀んだいやな感じはなく、居心地はなかなか良かった。店には私たちの他にも女性客などもいて(最初は店主のご家族かと思っていた)それなりに賑わっている様子もあった。

色々と驚いたものの、母国を離れ、日本の田舎町で親戚の家のような料理屋を営む陽気なフランス人店主には、ぜひこれからも頑張ってほしい。

フランス人この奇妙な人たち

フランス人この奇妙な人たち




感動はすぐにピーク

歳のせいか平常心→感動の頂点までの道のりがものすごい急勾配。且つ、遊園地の絶叫マシンのような勢いでビュンと登ってビュンと落ちる。

テレビになんか騙されないよ!と思っているのに気がつくと一瞬のうちに感動して咽び泣いている。
なんだよこの漫画、綺麗事ばっかじゃないか!と思って読み進めるのにあっという間に感動して咽び泣いている。

これはやばい!これは感動する〜!とあらかじめうるさくまくし立てて、これから泣くぞって予兆をプンプン匂わせておいた方が周りには親切なのだろう。しかしフリーフォールなのでそんな余裕もなく、急に高まり、急にドッと涙が滝のように流れる。

娘はそんな私に気付くと「お」と言う。ほう、ここでそうきましたか、と言った様子で、またそれ以上の興味も関心も特にないですといった面持ちで、至って冷静に「お」とだけ言う。で、すぐにまた自分の作業に戻る。


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地方滞在中につきパンは休憩です。

かあちゃん取扱説明書 (単行本図書)

かあちゃん取扱説明書 (単行本図書)



家庭訪問で情事

今日は家庭訪問の日だった。

午前中のうちに美容室に行き身綺麗にし、部屋も入念に片付け、粗茶などを用意して周到にお迎えの準備をした。

 
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愛犬もどことなくかしこまっている。
 
 
そよ風が吹き込む爽やかな午後。
長男の時からお世話になっている先生と、思い出話など挟みながら過ごす楽しいひととき。
 
娘さん、頑張ってますよ。一生懸命お勉強しています。
そうですか、それはよかった!
 
たまに娘さんをお兄ちゃんの名前で呼んでしまうんですよ(笑)
わかります。私はよく長男と飼い犬を呼び間違えてしまうんです。。あっ。
 
話の流れで犬をふと見やると、淡いピンクのクッションを大切に抱え込み、一心不乱に腰を振っていた。
 
さっきまでかしこまっていたはずなのに、なぜ今になって。。!
 
動揺を隠しながら、興奮気味の犬をそっと制する。同時に空虚な苦笑いで場をつなぐ。一旦休憩ののち、ほとぼりが冷めた頃合いを見計らってふたたび犬、発情。苦笑いと共に再度制す、一旦やめる、音もなく再開。
 
教育の現場からの真摯な声の傍ら、本能に身を任せた動物的な情事は何度となく繰り返された。
 
そんな家庭訪問。
   
Qpa Vol.8 むらむら発情期 [雑誌]

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ところでこれは先日焼いたフォカッチャ。お酒の席に合う塩辛いパンのレパートリーを増やす必要があるな。
 
 

言霊を信じているのに口癖が絶望的


自己受容が大事らしい、とは言ったものの私の口癖は「もうだめだ〜」なのである。1年365日満身創痍。自虐キャラは今時流行らないから触れてこなかっただけでふとした瞬間、「もうだめだ〜」と情けない顔して言うと落ち着くのである。
しかし一方で言霊というものは確かにあると信じている。信じている、というより、最初はお飾りに過ぎなかった言葉に、どんどん現実が引き寄せられていくのを実際に見たことがことがあるのだ。特に人の心持ちなんかは、繰り返し触れる言葉によって簡単に左右される。人の口から発せられた言葉が日増しにどんどん膨らみ、果ては人を飲み込む、支配する、そんな様子を見たことがある。

またこんな話とは別に、いつかどこかで聞いたところによると、長者番付常連のとある経営者の口癖は「ツイてる!」だという。日に何度も「ツイてる!ツイてる!」と言うらしい。言霊で運を引き寄せれば大富豪にもなれるのだ。。!

だから、何があったわけでもないのに「もうだめだ〜」なんて言い続けていては本当にもうだめな局面を迎えてしまう。これではよくないと、ここ最近はなるべくこの口癖を直すように努めている。「もうだめだ〜」とつい言ってしまったときには、「いやそんなことはない」と直ちに打ち消す。ため息を一つつくと幸せが逃げていくから、はぁ。。と吐いたらすぐに吸い込め、というあの方式だ。こんな自分は実際ちょっと気持ち悪いが、口癖が治るまでのしばらくの間はやむを得まい。言霊に食われないためだ。

しかし、そうは言ってもやっぱり今日も言ってしまった。
お風呂で、目をつぶって、髪を洗っているときに。周りが見えないのでつい、過去のどうでもいい恥ずかしいこととか、未来への不安とか、昨日の記事にめちゃくちゃはてブが付いたこととか、危うく色々押し寄せてきそうになって、「もうだめだ〜」と呟いたら心からほっとした。しかし、湯船に浸かっていた8歳の娘がそれをしっかりと聞いていた。

「なに?!なに今の漫画のワンシーンみたいな独り言!!なにがもうダメなの?!教えて!!漫画的にはやっぱり恋愛…でも現実路線だと金(カネ)…?!

金って。

その後やむを得ず私の「もうだめだ〜」の中身を漠然としたまま伝える羽目になったものの、一通り話終わる頃には娘はお風呂の中での水遊びに夢中になっており全く聞いていないのだった。


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ところでこれは先日焼いたエピ。
ベーコンがなかったのでハムを巻いた。またジョエルロブションのパン屋さんで食べたエピにはベーコンと一緒に粒マスタードが塗られていて、これはいいなと思い私も粒マスタードを塗ってみた。意外にも子供に好評であった。

斎藤一人すべての悩みに答えます

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ツイてる! (角川oneテーマ21)

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子供を褒めて評価するのは良くないらしい

承認欲求は貢献感を得るための手段だが承認欲求を通じて得られる貢献感には自由がない

 

最近読んで非常に感銘を受けた本、『嫌われる勇気』より。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

 

 

 

悟りを開いたかのような哲学者と切れやすい学生との対話形式で、アドラー心理学の教えが説いてあるこの本。なんでこの学生はこんなに切れやすいんだ、いくらなんでも甘え過ぎなんじゃないのかと途中で説教したくなるものの、それはさておき対人関係においてこういう心持ちでいれば楽に生きられますよ、ということが分かりやすく書いてある。人に好かれようが嫌われようがありのままの自己を受容すること、自分を嫌いになるか好きになるかは相手の課題だから自分は一切そこに執着しないこと、また自己受容には社会に対する貢献感を実感として持つことが不可欠だが、承認欲求を満たすことによって得られる貢献感には自由がないから要注意、と。特にこの部分グサリと刺さる。

総じて読みやすい本でとても良かったのだけど、この本の終盤で、実は子育てに関しても面白い言及があった。

人は他者からほめられるほど、「自分には能力がない」という信念を形成していく。〈中略〉ほめることとは「能力のある人が、能力のない人に下す評価」 

   もしもあなたが、ほめてもらうことに喜びを感じているとすれば、それは縦の関係に従属し、「自分には能力がない」と認めているのと同じなのです。

人が他者をほめるとき、その目的は「自分よりも能力の劣る相手を操作すること」

だから、著者曰く、アドラー心理学では子供を褒めても叱ってもいけないらしい。代わりに、自分が価値ある人間だと子供に実感させるために親がすべきことは、子供の存在に対して、また子供が家庭の中で行ってくれた行為に対して「ありがとう」と感謝を伝える、あるいは「うれしい」と素直な喜びを伝えることだそうだ。この根底にある考え方として以下のように書かれている。

ほめられるということは、他者から「よい」と評価を受けているわけです。そして、その行為が「よい」のか「悪い」のかを決めるのは、他者の物差しです。もしもほめてもらうことを望むのなら、他者の物差しに合わせ、自らの自由にブレーキをかけるしかありません。

前述した、“承認欲求を通じて得られる貢献感には自由がない”にも通じる部分だ。

 

* * * 

 

たとえば犬の躾をする場合、その目的は、犬と人間が、飼い主の用意した限られた環境の中で快適に生きるようにすることだ。限られた環境の中では選択を迫られるシーンも限られているので、こういう場合にはこうすれば褒められるのだと記憶させる。だから飼い主の物差しをそのまま犬に理解させることで躾は完了する。しかし人間の子供の場合、親が用意した環境をいつか巣立って、たった1人で、もっと大きな社会に出ていかなくてはいけない。社会には家庭の中に存在し得ない沢山の岐路があり、そんな中で誰もがケースに応じて、自分自身で適切な判断を下す必要がある。その上で、他人のでなく、自分の物差しを持っていることが重要だというのはとても良く分かる。

 

先日書いた「中2病はこじらせればこじらせるほどいい」の補足として、できることなら中2病は治さなくてもいいんじゃないかと思っている。中2病が過剰なナルシシズムをもてあますことにより発症する病だとすれば、美意識について自分だけの強固な物差しを持っているというのは今の時代強みだからだ。多様な価値観、多様な生き方がメディアによって可視化される世の中、自分だけの物差しが持てずにいる大人は結構悩んでいる。起業してこんなに成功しました!海外進出しました!田舎で農業!ちょっと自分と違うやり方をしている人たちの話しを聞いたりすると、自分だけの物差しがない人はふとしたときにぐらっと軸がぶれる。果たして自分の生き方はこれでいいのかと。一方で他人からの評価を勘定に入れず、心ない人から「あいつ痛いよね」などと揶揄されたとしても、気にせずマイワールドを貫徹出来る人の軸はより強固。理想とする自分像や、よしとする美しさががんとしてあるので他人の行動になびかない。あるいは、ちょっといいなと思ったとしても結局自分の行動を変えることがない(できない)。滅手にぶれない。また不治の中2病を抱えているというだけでコミュニケーション能力が低いように思われがちだが、私の身の回りで完治させていない大人達は大抵の場合、共通言語を持つ仲間か、サポートしてくれる中2病を患ってない人をうまい具合に見つけている。(大人になっても純粋に中2病を患ったままでいられる人というのは実際のところごく一握り、いわゆるレアキャラなので、物珍しさや自分にないものを持っているという理由から、他者を惹き付ける能力に長けている人が多い印象)

 

病児保育のNPO法人フローレンス代表 駒崎弘樹のblog:

「今の小学生のうち65%は、今存在しない仕事につく」時代の子育てに求められるもの

http://komazaki.seesaa.net/article/291495676.html

 

こんな話しもあるというし、親である私は果たして子供に何を教えていけばよいのかということを長い間悩んできた。私たち両親があまり一般的でない形での社会進出を果たしていることもあり、何を尊重しどう生きろと言うのが子供にとって良いことなのか、考えあぐねていたのだ。しかし結局のところ、子供が未来に直面するであろう問題について、今の時点で正解を教えておくことなんて不可能だった。生き方の正解は本人が自分で見つけるしかないのだ。だから、きたるべきときに自分の物差しでその答えを見つけられるように、またもしそれが不正解だった場合にも折れない心でいられるように、強固な土台作りのサポートに徹する。親の物差しを継承するのでなく、子供が自分の物差しを作り上げるサポートをするということ。私たち親が子にするべきことって、きっとこういうことなのだろうと思う。

 

…そういうわけで、たとえば今後息子が波動系の中2病を患った際には家全体を白い布で覆ったり変なマークを掲げたりして、出るよ出る、波動は出るよ、と演出をかって出るくらいの気概で全力サポートしていきたいという気持ちを新たにした。

 

参考までに、子供の頃しっかりと中2病をこじらせた末に、その頃書いた小説を最近Kindleで出版されたブロガー、いちるさんの記事を以下に。

我が名は魔性のちょっといい話:小鳥ピヨピヨ

 

我が名は魔性

 

いいですね!

 

 

f:id:akikomainichi:20140428181221j:plain ところでこれは先日焼いたピタパン。多く焼き過ぎで網からはみ出ている。

綿棒で丸く伸ばしただけでぷくっと風船のように膨らむピタパンは面白い。

 

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朝ごはんに、あると便利なピタパン。