社会の歯車となって働くこと。

このところやや仕事が忙しく、連日、帰宅が夕飯ギリギリになってしまいます。子供達は私の帰りを明るく待っていてくれるものの、たまにチクリと「今日は最遅(さいおそ)記録更新だね(^○^)」と無垢な顔で言うのでお母さんの胸はシクシクと痛みます。

けれども、働くということはとても大切なことだなぁと、わたしは改めて思います。
社会の歯車となって働くということは、ポジションに関わらずたくさんの人に動かされ、またたくさんの人を動かすということ。その上で第一に、段取りというものを学べます。何事にも段取りが必要なことを知り、段取りの仕方がちょっと分かってくると、今度は目標を達成するまでの、自分なりの道筋を立てられるようになってきます。
学生の間は大人の決めた段取りの中にいて、座っていれば自動でゴールまで運んでくれますので、19歳でお母さんになったわたしは、これまでちゃんと段取りというものを学ばないまま子育てをしていたのですね。ただ、幸い子どもというのは、最低限愛情を持って接していさえすれば、お腹がすいたり、不満があったりした場合声を上げてくれるので、必ずしも段取りをしなくてもなんとか育てられます。でも、段取りをする、ということを知ってから子育てに挑んでいたら、もっと効率的で、もっと余裕のある子育てが出来ていたのかもなぁ、ということに、わたしは最近気がつきました。(それが必ずしも良いとは限らなくても。)

つぎに、仕事をすると、社会の仕組みがちょっとずつ分かってきます。ここではこんな風にお金が動いているんだな、とか(怪しい意味じゃないですよ!)、これはこんな事情でこういうことになってるんだな、とか。そうなると、いまの社会の何が良いことで何が良くないことなのか、また子どもたちが大人になったとき、つまり未来の社会では何が求められるようになるのか、仕事を始める前よりも、なんとなく想像しやすくなってきます。

そして何より、仕事をするとお金を稼げます。
どんな経済状況にあっても、自分でお金を稼げる能力というのは、何物にも替え難いものです。なにぶん私はまだ修行中の身ですので、自分の能力で稼いでる!と言い切れないところが多分にありますが、私の勤め先は、やる気さえあれば出版事業、飲食店事業、社会派プロジェクト運営など、さまざまな分野で仕事をさせてもらえるので、何のスペシャリストでもない私が武者修行するのにはうってつけです。(同様に修行をご希望の方はぜひ私までお問い合わせください)

本来ならば、いまの私の新社会人経験というのは、多くの人が子どもを生む前に経験済みであるものですが、私の場合は順番が逆になってしまいました。そのせいで今、子どもたちにやや負担をかけているところがあるかもとおもいます。でも一方で、子供たちも色々なことが分かるようになってきた今、このタイミングで、私自身が働くことの意味を日々学び、直に子供たちに示せる環境にあること。これって、結構ラッキーだな、っておもう今日この頃です。