31歳主婦、はじめてのキャバクラ。(上)
ウユニ塩湖には一度行ってみたいと強く思っているのだが、それと同じくらいキャバクラにも行ってみたかった。
嘘のような本当の話しで、大人になってから親しくなった私より年下の女友達は、皆かなりの割合で1度や2度、キャバ嬢として働いたことがあると口を揃えて言うのだ。最早女子の一般教養化しつつあるのでは、キャバクラ。何を隠そう夫もしばらくの間どハマりしていたキャバクラ。うちの資産の大部分を吸い込んだキャバクラ。キャバクラという名のブラックホール。一体どんなところなの?とまわりの男友達に聞くと、「何回か行ったことあるけど全然楽しくないよ」「俺は別に好きじゃない」とみんながみんな口を揃えて言う。……そんなわけないだろう!!!みんなが別に好きじゃないならなんで営業してるんだ。女性店員が男性客を接客する、そういう基本的な知識はあるものの、とにかく実際のところを知りたかった。場の空気や、やり取りの中身、一度はこの目で見てみたかった。しかし私は女性なのでキャバクラの客になれない。でも行ってみたい。でも行けない。
……思いを募らせ続けて足掛け5年。思いがけず、チャンスが到来したのである。ある日の友人(40歳・男性)との会話の中で、私が何気なくキャバクラへの好奇心を語ったところ、「じゃあ行ってみる?」と友人。「え、女性でも行けるんですか?」と尋ねると「全然行けるよ~」とのこと。…知らなかった!聞けばキャバクラには男性客に連れられて女性客も訪れたりするらしいのだ。行きたい行きたいと願いながらも、いざ行けると聞くと女性が行って何するんだという疑問も湧いてくる。そういう疑問も解決したいし、やっぱり行けるのならば是が非でも行ってみたいですと懇願。頼れる友人に早速、六本木のキャバクラに連れて行ってもらうことになったのだ。
余談だが私はその日、子供達のためにお寿司の出前を頼んだ。喜びながらお寿司を食べる子供達に「ママはこれから、キャバクラに連れて行ってもらってくる。どんなところがしっかり見届けてくるね!」と力強く話した。子供達は「わかった!頑張ってきてね!」と私を送り出してくれた。
さて、六本木のキャバクラに出向く上で、我々には1つ、くれぐれも気をつけておかなければならないことがあった。というのも六本木とは、知る人ぞ知る、かつて夫のシマだった場所なのである。その力がどの辺りまで及んでいるか未知数だったが、私が身内であることが明るみに出ると厄介なことになる可能性もあると踏み、私と友人はあらかじめ次のような設定を決めて山に挑むことにした。
私:夫のキャバクラ通いに悩まされている既婚のOLあきこ
友人:亭主のキャバクラ通いなんか大したことないよと教えるために部下(私)をキャバクラに連れてきた上司
口裏合わせもバッチリ。私の気合いも十分。これが数年ぶりのキャバクラだという友人も、やはりどことなく活き活きしてる。活き活きした様子で「いざキャバクラ!」と快調に古典ギャグを飛ばしてくる。なるほど、こういう感じがキャバクラ文化なんだなと早くも1つ学びを得たところで、いざキャバクラ!
手始めに我々は、友人が数年前に通っていたSという店を目指した。しかしいざ現場まで行ってみると、残念なことにそこは閉店していた。そこで同じビルの別のフロアの店に入ることになった(六本木には一棟全部キャバクラ、というビルが存在していたのだ)。
…が、小心者の私はエレベーターに乗り込む時点で不安に襲われた。ほんとに行って大丈夫なのかと。瞬時に脳内でシュミレーションした。もし仮に私がキャバ嬢だった場合、お客が女性を連れてきたらとてもやりにくいと思う。男性客に気持ちよくおしゃべりさせようと思えば女性客がイラッとするかもしれないし、女性客を気持ちよくさせようと思えば男性客が退屈するかもしれない。非常に難しい。私たちは難しい客。すなわち望まれざる客なのでは……。「ほ、ほんとに大丈夫ですかね…」先行する友人に尋ねるも、豪快な友人は「大丈夫大丈夫~」と言いながら通路の奥へ奥へと躊躇なく進んで行く。なるほど、これが男達を吸い込むキャバクラという名のブラックホールか。私は緊張の中にも2つ目の学びを得たのであった。
そうこうしながら、ついにキャバクラに入店。
エレベーターを下り、うす暗い通路を抜けるとそこはキャバクラだった。
心配をよそに、女性客の私は難なく入店できた。拍子抜けするくらい何の問題もなかった。……が、すぐにぎょっとする光景に直面した。入ってすぐの場所に、着飾った女性達がずらっと20人くらい密集して並んで座っているのだ。なんだこれは、と。キャバクラって男女、男女で座るところじゃないのかと。ずらっと並んだ女性達、誰も会話すらしてないし、むしろ鏡見て化粧チェックしたりしてる人もいるし、一体どうなってるんだと、激しく困惑した。後々聞いたところによれば彼女達は待機中の女性達とのことだった。この日は雨が降っていたため客入りが悪く、奇しくも普段より大勢が待機所で待機していたそうだ。それにしてもなんというタイミング。なんという内装。彼女達の脇を通り過ぎて席まで進む、その間私はもう痛烈に針のむしろ状態だった。着席している大勢のキャバ嬢、その脇を闊歩するお客の私。ここはファッションショーのランウェイ…?いいえここはキャバクラ。女性らしさが売り買いされるマーケット。お客といえども女性である私は、ああ今この瞬間、完全にキャバ嬢に値踏みされているなという実感があった。もちろん彼女達もプロなので露骨にそんな態度を示したりはしない。直視出来なかったので大体の印象とそこからの推測でしかないが、さすがにじろじろとガン見なんてことはなかったと思う。それでも女性とは、一瞥しただけで値踏みできる生き物なのだ。それはそういうものなので仕方ない。お母さんキャバクラを見届けてくる、と子供に誓って家を出てきた私は強い気持ちで試練のランウェイを通過。黒服に案内され、テーブルまでたどり着いた。
友人と2人、4人席に向き合う形で着席する。お客が少なかったことや内装のテイストから、この時点では何かちょっとルノアールにいるような気分に。すると注文もしていないのに勝手に氷、グラス、ミネラルウォーター、ウィスキーのボトルが運ばれてくる。えっ、と驚いて友人を見ると、友人は全く驚いていないので、キャバクラというのはどうもこういうシステムらしいと察した。
ほどなくして、ついにそのときが来た。
私たちのテーブルにキャバ嬢がやってきたのだ。キャバ嬢が、やってキターーーー!!!のだ。集団でいると圧倒されるばかりだが単体でやってくるとやはり、なんというか、可憐。華やか。美しく飾られた、商品。ルノアールが一瞬にしてきらびやかなキャバクラに変貌した。私の隣、友人の隣に1人ずつ、着飾った奇麗な女の子が座った。本当に隣に座るのか!本当に女の子ポーチ持ってるのか!もう色々大興奮。絵に描いた様なキャバクラ、その中に自分がいるという可笑しさに、涼しい顔をしようにもついつい笑いがこみ上げてくる。
友人が言うにはこの店はキャバクラの中でも価格的に中ランクとのことだったが、にも関わらずやってきたキャバ嬢は揃ってものすごく可愛かった。とくに私の隣に座った女の子はももクロのしおりん似で超小顔、超色白、おまけに手足はダルシムの様に長かった。
「こんばんは~」
そんなキャバクラでも、会話のスタートは一般的な挨拶からという本日3つ目の学び。
「こ、こんばんは…」
緊張のあまり小声になる私に代わり、ここでは上司という設定の友人が状況を説明してくれた。
「いやね、彼女は俺の会社の部下で既婚者なんだけど、旦那がキャバクラ大好きで悩んでるらしくて。どういうところか知りたいっていうから連れてきたんだよ」
そこで、今だとばかりに上司に続いた。
「さすが上司、説明がお上手ですね。そうそう、そうなんですよ。キャバクラに来たかったんです。女性が来てもいいものか迷ったのですが……」
すると隣にいたしおりん似のキャバ嬢がにこやかに答える。
「女性のお客さんも結構いらっしゃるんですよ〜。今日ももうお一方…ほら、あそこのテーブルに。」
そうなのだ、この日は私以外にも女性客がいたのだ。しかしキャバ嬢がテーブルに着くとパッと見でどれがお客でどれがキャバ嬢かわからない。実際キャバ嬢たちも分からなくなるらしい。これを聞いて少し安心した。
私たちは、注文してないのに出てきたウィスキーの水割りで乾杯した。
「旦那さん、キャバクラ好きなんですか?」
「ええ、そうなんですよ。本当に大好きで困っちゃってて。」
「え〜それは嫌ですよねえ。私もこんな仕事してますけど、正直キャバクラに行かない人と結婚したいです(笑)」
「ですよね〜」
他愛もないやり取りを交わしながら考えていた。
私は自分で言うのも何だがかなりコミュニケーション能力が高く、色々と足りない能力をコミュニケーション能力だけで補ってきたようなところもある。だから様々な会食、お酒の席ではわりと主体的に場の空気を読み、話すにしても聴くにしても、会話の主導権を握ることが多い。で、私は今日、その能力をここキャバクラで一体どの程度発揮するべきかと。
おそらくキャバクラというのは、お客がそんな算段をしないで、好き勝手に話して気持ちよくなることが受け入れられる場所なのだろう。 キャバ嬢という存在もそれに最適化されているはずだし、ましてやここでは上司という設定の友人(男性)がいるので、私が場の空気を読み始めたらキャバ嬢もいい気がしないはず。でもキャバ嬢がいい気がしないだろうと考える時点で私が空気を読もうとしているので、これではせっかく来たキャバクラの醍醐味を味わうことにはならないのではなかろうか。一方で私には友人とキャバ嬢とのやり取りを盗み見ることで男と女のキャバクラの真実を突き止めたいという願望もある。限られた時間の中でこれらの目的を達成するために私が取るべきアプローチとは……。
あれこれ考えを巡らせていたところに、向かいに座る友人から早くもすごい発言が出た。
「よし、もうなんでも好きなもの飲んでいいよ!」
キャバ嬢たちが「わぁい♡」 と喜ぶ。しばらくすると我々のテーブルにボトルのシャンパンが運ばれてきた。
すごい、完璧なキャバクラ感。
話には聞いていたけどこんな風にシャンパンがオーダーされるのか。こんな風に出てくるのか。そのとき私は思った。そうか、ここにはここでしか成立しない、私の知らないコミュニケーションの形があるのだ、と。色々先回りしようとしてもしょうがない、ここは流れに身を任せるよりほかないのだ。
「ちなみに……シャンパンっていくらなんですか?」
しおりん似のキャバ嬢に尋ねると、「メニュー見てみますか?」と言ってすぐにメニューをみせてくれた。そもそもキャバクラでお酒のメニューがあると知らなかったのでこれは驚きだった。キャバクラのお酒というのはさながら寿司屋の寿司のように、メニューがない中で値段を予想しながら頼むものとばかり思っていたのだ。思っていたより親切設計か。
しかしパラパラとメニューをめくってみると驚愕。ヴーヴ・クリコ30000円、クリュグ200000円…とにかく0多い!
「高っ!」
思わずもらすと友人が
「あきこちゃんの旦那さんは一晩で2000万使うって噂で聞いたけど」
ととんでもない爆弾を落としたので途端にキャバ嬢たちがざわっとした。
「旦那さんの行き着けはどこですか?!」
「そのお金家に入れてよって思わないんですか?!」
「なんで愛想尽かさないんですか?!」
実際のところ夫のキャバクラ熱は数年前に収束しているものの、せっかくなので全盛期の行き着けの店をLINEで尋ねつつ、あの、その、といった感じでその他の質問の答えに窮していると、友人の隣に座っていた方のキャバ嬢(23)が、すべてを引き取って、もう分かった、皆まで言うなといわんばかりの頼もしい口調で言った。
「……お客さん、おいくつですか。31歳?まだまだお若いじゃないですか。これからですよ、これから。ここで働いてる女の子にも、お客さんと同世代の人も沢山いますよ。応援してます。」
思いがけずキャバ嬢に激励される想像もしていなかった展開に。
〈つづく〉