セックスと宇宙とスペースシャトル
「セックスは大事なコミュニケーションです。だから週1回◯曜日に必ずやりましょう。」と学級活動よろしく面と向かって話し合いなんてやったら男はますます萎える。
夫婦の皆さん、なるべくセックスはした方がいいと思います。
私がまだ独身で恋人も長くいなかった時期、一週間にする自慰行為の回数を訊いてくる人間など、ほとんどいなかった。特定のパートナーと法的に結婚した今、一週間にするセックスの回数を訊くような質問を投げかけてくる人が、とても増えたように感じる。…<中略>…世間では「独身女子に性の質問は失礼/既婚者になら何でも訊いてよし」という不文律でもあるらしい。 嫁は萌えているか?――いつか誰かに聞いた結婚の話 (10) 不躾なモテない質問、美しく燃える銛の女 | マイナビニュース
誠に申し訳ありませんでした。
ママ友同士の飲み会でこの手の話題について真っ先に切り込む切込隊長は大体私であった過去を猛省いたしました。
……しかし少しだけ弁明させていただくと、以前も書いた様に私の属するいくつかのママコミュニティで私は往々にして若手であり、その場にいる複数の先輩ママ達がどうしてもこの話しをしたくてうずうずしている場合なんかに、“おい若手、何も知らない顔で切り出せ!早く!今だ!切り込め!”という無言の圧をかけてくるのでやむを得ず、どうしてもやむを得ず、「……で、どのくらい?」という形で口火を切るのだ。なのでどうかひとつこれに関しては私の意思というよりもその場の意思という風にご理解ください。
実際のところ、私がターゲットとしているヒアリング対象は既婚者の中でも小学生、あるいは中学生を持つ母親達。結婚して5年、10年、もしくはそれ以上経過し、結婚式の記憶もカラーからセピア色に変わりつつある女性達。誤解を恐れずに言うと、彼女達の多くは、身近な友人夫婦がぶっちゃけどれくらいの頻度でセックスしてるか大いに関心を持っている。なぜなら自分たち夫婦のセックスについて、結構みんな深刻な悩みを抱えているからだ。
悩みの内容は様々。けれども最も多いと感じるのは、1人目の子供が生まれてからのセックスレス問題。結構な夫婦が、子供の寝てる横じゃちょっと……という戸惑いをきっかけで疎遠になっている。目下子供を育てるために最適化されている女性の体と思考を、そのときだけ新たな子づくりに最適化するというのもまた高いハードルとなっている模様。
ある知人夫婦はどうしても2人目の子供が欲しかったのだが、あまりにも長らくご無沙汰なのでお互いどうしても素面では出来ず、仕方ないから夫婦で泥酔して励んだらしい。そうやって無事2人目が生まれてからは、やっぱり一切ない、と。でもお互いに同じ状況なのでこれはまだ良い方で、夫、あるいは妻、どちらか一方にだけその気があるのにどちらか一方にだけ完全にその気がなくなってしまったケースはなおさら深刻だ。2人目が欲しい妻が全然乗り気じゃない夫になんとか頼み込んで事務的にセックス“してもらって”妊娠したという話しも複数人から聞いた。
そんなこと分かってると皆さん思うだろうし何より滅多に夫と会わないお前が言うな感が物凄くあるけど、セックスというのは夫婦間の貴重なコミュニケーションなので世の夫婦の皆さんはなんとかコンスタントにやった方が良いと思います。(私が言って本当にすみません)
お互いがきちんとした話し合いの上で、噓偽りなく“我々には必要なし”と判断したのであれば、それも1つの夫婦の形ということで問題ないのだろうと思う。しかし別にそういった合意があるわけでもなく、またその後も末永く幸せに暮らしていくことを望んでいるのであれば、日頃のコミュニケーションで補えない不安やお互いの承認欲求を有無を言わさず満たしてくれるセックスはちゃんとやったほうがいい。
世の中の多くの夫婦は一緒に暮らしていると思うのでそういう前提で話しを進めるけれども、一緒に暮らしていたらやっぱり段々とお互いが空気のようになって、セックスに至るまでの猛烈な衝動を駆り立てることが難しくなる。だから何となくご無沙汰になる。でもそれを放置しておくのはとても良くないので、ちょっと2人で外に出かけてみるとか、シチュエーション、アプローチなど様々な方面から非日常的な打開策を考えて、根気づよくトライした方がいい。というのも、そのときはまあ別に今更セックスなくてもいいや、なんて思っていたとしても、時間が経つとともに、自分はこの相手と結婚生活を続ける限りこのまま一生セックスしないのだろうかという大きな不安が双方にのしかかってくるのだ。これは単に欲求不満という域を越えて精神状態にとても悪い影響を及ぼす。
具体的には以下のどちらかの悲しい展開を招きかねない。
・お互いに燻らせた挙げ句どちらかが外でガス抜きしてしまい致命傷になる
・抜けないガスを溜め込んで爆発(精神バランスを崩す、など)する
だから、もし夫婦としてハッピーエンドを望む気持ちがあるのであれば、たかがセックスと軽視せず、なんとかコンスタントに発生させる努力した方がいい。
特に男性に限って言えば、たとえば子供が生まれた後、もうそろそろいいだろうという頃に1度や2度妻を誘ってみて、とてもそんな気分にはならないと断られ、それで心が折れたのでその後もう一切妻を誘えなくなった、というような悲しい話しも耳にする。しかしこれは世の男性の皆さんが陥りやすい大きな落とし穴だ。男性の皆さんが見た目よりとても繊細なことは分かってる、分かってるけどそこはどうか強い気持ちをもってほしい。というのも、妻という生き物もまた大体が繊細で、そしてシャイでツンデレなのだ。そのときはダメでも、しばらくしてそろそろいいかな、というタイミングがやってくるかもしれない。しかしいざやってきてもなかなか自分からは切り出せない。シャイでツンデレだから。だから夫の皆さんにはなるべく根気強く、不屈の精神でそのタイミングを狙い続けてほしい。なんで男性ばかり、と思うかもしれないけれど、これは何も夫婦間でセックスをして幸せになるためだけに効果的なのではないのだ。私は決して賛成しないけれど、世の中には家庭の外でおふざけする男性も少なからずいる。私は決して賛成しないけれども、社会の仕組みからして男性はそういうことを実行しやすいようにできている。私は決して賛成しないけれども、仮にそういうところで悪さをしていたとしても、「妻を誘い続けている」という事実があるのとないのとでは夫婦間の温度が全然違う。表面だけ取り繕うようなものなので恐らく度が過ぎればいつかメッキははがれるけれど、夫である自分は男性としていつだって妻を求めている、というアピールを欠かさないことは、妻の最低限の承認欲求を満たし情緒を安定させるので、実は外で悪さをする悪い夫にとっても案外メリットが大きいのだ。
そうは言っても、もし仮にいかなる打開策も功を奏さず、やる気はあるのにできない場合。そういう場合にはまず自らのその状況が大変不本意であることを誠実に相手に伝えてたほうがいい。その上で、2人で解決に向けて努力した方が良い。もちろん相手の自尊心を傷つける様な言い回しは避けるべきではあるけれど、最近ストレス溜まってるせいかな、体調がおかしいんだ、とかそれらしい理由を考えて、でも物凄く不本意だ、なんとか頑張りたいという部分を強調したほうがいい。
結局のところ、セックスをしないことが問題なのではなく、原因も分からないままなんとなく夫婦間でのセックスが減ってしまうこと、ゼロになってしまうことが問題なのだ。
誰しも飽きる、そして老いる。愛情が冷めてしまったのではという不安、自分に最早性的な魅力がなくなってしまったのではという不安は放置しておけば大きな火種になる。
少しでも夫婦間のセックスについて思うところのある人は、ぜひひとつ腹を割ってパートナーと話し合いをもってみてはどうだろう。したいのか、したくないのか。したくない場合には外注はありなのか、なしなのか、ない場合にはどういった代替案があるのか……いや冗談みたいだけどこれについても真剣に考えた方がいい。で、こういった話し合いを通じて、最終的には自分たち夫婦が今後、お互いをどういう形で尊重し合っていくかという見解を一致させることが大事なのではないかと思う。
みなさんが夫婦として、家族として、いつも晴れ晴れとした気持ちでパートナーと向き合えることを願って。
全然知らない夫の性的嗜好をインターネットのまとめサイトで知る私からは以上です。
※冒頭で紹介した岡田育さんのコラムの内容からは大きく本筋がずれましたが素晴らしいコラムなので未読の方はぜひご一読ください。
嫁は萌えているか?――いつか誰かに聞いた結婚の話 (10) 不躾なモテない質問、美しく燃える銛の女 | マイナビニュース
ところでこれは今日こねた食パンのパン生地。
ものすごく滑らかに仕上がり、膨らみも素晴らしかった。
美味しい食パンに焼きあがった。
私の前世は男色の浮世絵師だった
31歳主婦、はじめてのキャバクラ(下)
繰り返される出会いと別れ、これからというときに女の子は去っていく
10歳近く年下のキャバ嬢に、キャバクラ通いの夫を持っても大丈夫、あなたはまだまだ若い、まだまだこれからですよと励まされた。しゃべりながら段々と勝手にエキサイトしていく彼女、何があったか知らないが最後の方は半ばキレ気味でもあった。あ、ありがとう、と、彼女の気迫におされつつ感謝の気持ちを伝えた。しかし不思議とその頃から、キャバ嬢たちとの心の距離がぐっと縮まってきたようにも感じられた。隣に座るしおりんも、良い奥さんですね、せっかくなのでキャバクラのこと何でも聞いてください!なんてより一層優しい。彼女達と、もっと楽しい話ができそう……!
これから始まる楽しい予感に、胸が高鳴り始めた、ちょうどそんなときだった。キレ気味に激励してくれた向かいの席のキャバ嬢が突如立ち上がると、
「今日はとっても楽しかったです!では、失礼します♡」
と、にっこり優しい微笑みだけを残して、すたすたと店の奥に消えていった。
えっ、せっかく仲良くなったと思ったのに、どうして急に……!?
ほどなくして、彼女のいた席に今度は別の女の子(リア・ディゾン似)が、こんばんは〜と言いながらやってきた。
出会いと別れ、そして再びの出会い。聞けばやはりこれもキャバクラのシステムらしい。指名という制度を使って特定の女の子を指定しなければ、こんな風に色んな女の子が入れ替わり立ち代わりお客につくんだそう。で、お客は指名に向けて、この入れ替わり立ち代わりの中から気の合う子を見つけるんだそう。
正直、なんて良くできたシステムだろうと感心した。ちょっと分かり合えてきたぞ、というときに女の子に立ち去られ、残された客の味わうポツン感たるや……!それがシステムだと分かっていても、置き去りにされるという状態はなんとなく寂しいし、なんとなく心細い。完全にこちら劣勢である。立ち去る女の子のヒールの高さと同じくらいプライドの高そうな背中が言葉無く語りかける「もっと私とおしゃべりしたいならお金払ってね」感は、さっきまでの親近感とは完全に別物だ。売り手と買い手、選ぶ人、選ばれる人。キャバクラにおけるこの関係性の優劣は一見シンプルな様でいて、その実、場面に応じてころころと入れ替わる。そうやって、お客がより多くのお金を落としやすい状況が作られていくようだ。巧妙である。
阿蘇の大自然を背負ったマイナスイオン派キャバ嬢
そうこうするうちに私の隣にいたしおりんも優しい微笑みを残して同じように立ち去り、代わりに熊本出身の22歳がやってきた。2ヶ月前に上京してきたばかりという彼女は、派手な目鼻立ちとは裏腹に、しゃべるとものすごく訛っていた。
「え〜、お客さんのご実家も九州なんですかあ。実家に帰ってますか?私はまだ出てきたばっかりなんですけど、次いつ帰ろうかなあっていつも思ってます。(笑)」
ニコニコしながら訛ってる彼女と話していると、六本木のキャバクラにいるはずがいつのまにか阿蘇山の雄大なカルデラに抱かれているような、マイナスイオンをたっぷり浴びているような清々しい気持ちになってくる。のちに私を連れて行ってくれた友人も「あの子よかったね〜」と彼女をいたくお気に入りだったので、結局のところこういうあか抜けなさ、素朴さが、男女問わず人の心のバリアを無効化するんだろうと思った。
「わたし、女性のお客さんにつくの初めてなんですよぉ」マイナスイオンが囁きかける。
「女性客が1人で来ることってないんですか?」
「う〜ん。さすがにそういうお客さんは見たことないですねえ」
「細木数子みたいな女帝っぽい人はキャバクラ遊びもするのかな、なんて思ってたんだけど」
「ん?誰ですか?」
「え、細木数子」
「……?」
「あ……」
「ん〜……うふふ♡」
22歳の彼女には細木数子が通じなかった。そりゃそうか、細木数子最近見ないもんな。
しかし、あ、ジェネレーションギャップ!あ、この話は通じないようだ!とこちらが気付いた瞬間、うふふ♡とやわらかな微笑みで半ば強引に話題を受け止めるテクニック……そうだ、訛っていたって彼女もプロなのだ。
笑顔にごまかされながら、ああそういえば私ももう31か、とぼんやりこれまでの歩みに思いを馳せた。サラリーマン社会の悲哀を背負ったおじさん達にほんの一歩近づいた気がした。
結局のところキャバクラとは何なのか
こんな調子でもう何人か、女の子が私たちのテーブルにやって来て、大して中身のないおしゃべりを交わしては、楽しかったです♡とにっこり微笑んで去っていった。たまに私とキャバ嬢の会話が盛り上がる様子を見せると、向かいの席の友人が「お、女子会はじまった?」などと茶々を入れてくる。たしかに一見女子会ではあるけれども、実際のところキャバ嬢との会話は普段の女子同士の会話とは全然違う。何しろ彼女達は際限なく優しいのだ。
美人キャラ、可愛いキャラ、訛りキャラ、そして半ギレキャラ。商品として様々な個性を演出しつつ、彼女達は人としてよほどハイレベルに不道徳なことを告げない限り、それちょっとどうなの、なんて言いそうにない。もちろん人間なので黙って聞いていられないときもあるだろうし、つい本音が出ることもあるだろう。けれども基本姿勢ではそんな自分の人間としての物差しには蓋をして、全てを優しく受容する。たとえ細木数子が分からなくても、そんなわけわからん名前出すなよと万が一心の中で思ったとしても、決して口には出さない。絶対にあなたを否定しませんよ、怖い思いさせませんよ、怒ったりしませんよと、限りなく母性に近い女性らしさで、お客をふんわり包み込むのだ。
首や肩、手足、すべすべの肌を多く露出した可愛い女の子達(しかも匂いもいい)が代わる代わるやってきては、底なしの優しさを体現してお客を全肯定してくれる場所、それが私の見たキャバクラだった。
世の多くの男性が言う「優しくされたい」の「優しさ」が、これほど底なしで、これほど骨抜きの、半端ない甘やかし状態を指しているということを知っているのは、恐らくキャバ嬢とその経験者だけだろう。もちろん、そんな見え透いた優しさなんて気持ち悪いから自分は受け入れられないとか、だからキャバクラは嫌いなんだだと考える男性も少なからずいると思う。だからそういう人は当然、自分はここに当てはまらないと思って他人事として読み進めていただければと思うのだが、キャバクラという空間を享受出来る男性は、一般の女性が思っているよりはるかにズブズブの優しさを享受できるし、そもそもそれを少なからず求めている人たちなのだ。
正直、それに気付いたときにはちょっと引いた。成人男性、ひとたび鎧を脱げばここまで甘ちゃんなのかと……。だけど冷静に考えてみると、女性のお姫様願望だって同じ様なものだ。自分にたまたま悲しいことがあって人知れず泣いているとき、好きな男の人にはそれを誰に聞いたわけでもなく鋭く空気で察して、昼であろうが夜であろうが仕事中であろうが親の死に目であろうが持ち場を抜け出し、さながら王子様のように颯爽と自分の前に現れて慰めてほしい。お姫様願望とはそういうもので、男性側の都合なんて一切関係ない。だからこそ非現実的で、大抵フィクションの中でしか成立しない。そんなことはなから分かっていながら、それでも女性が心のどこかでお姫様願望を捨てきれないのと同じように、男性もまたどんなに年をとっても、どんな役職についていても、心のどこかで女性に沈み込む様に甘えたい、赤ちゃん願望を捨てきれない。で、そんな夢をお金の力で一時的に疑似体験できる場所こそ、キャバクラなのだ。
後日あらためて考えた。
あんな風に自分を全肯定される快楽というのはある種麻薬のようなものだろうから、どハマりして実社会に戻れなくなることだって十分あり得るんだろうと。もちろん懐具合との兼ね合いもあろうけれども、やっぱりキャバクラって、とても恐ろしいところなのではないかと。この考えを友人に打ち明けたところ、思いがけない答えが返ってきた。
「大体の男は3回か4回も通うとね、欲を出しちゃうもんなんだよ」
「どういうことです?」
「自分のことを全肯定してくれるキャバ嬢に段々本気で入れ込んでくると、その子と付き合いたい、セックスしたいという次なる欲が出てくる。そこで初めて否定されて、そううまくいかんなという現実に、多くの男は気付くのだよ。」
……なるほど。
多くの男性は聖母に受け入れられたと思うとその先に性を望み、そこで遅かれ早かれ、すべてがフィクションであったという現実に直面するらしい。
ちなみに今回、友人とともに私がキャバクラのテーブルにつき、若く美しい女の子に叱咤激励され、30代にしか分からないネタを話題に上げてもにこやかに許され、つるつるすべすべの肌をおいしいシャンパンとともに拝んだおよそ2時間の夢のお代は、約7万円とのこと。※良い友人に恵まれて本当に幸せです。
良い夢を見るにも決して安くないお金がかかる。
男性が普段見せない夢、欲望、本音がちりばめられたキャバクラへの潜入。結局良しなのか悪しなのかについては各々のご判断にお任せするとして、いずれにせよなかなかに気付きの多い貴重な体験だった。世の男性のみなさんも機会があればぜひ一度、恋人、あるいは奥さん、あるいはお母さんらと、連れ立ってキャバクラにお出かけになるのもよろしいんではないでしょうか。 普段フィクションの中でしか曝け出すことのない正直な自分を、現実世界に生きている身内の前であらわにしたその先にこそ、ドクドクと血の通ったあたらしい物語が待っている……かもしれないしどん引きされて終わるかもしれないそれは誰にも分からない!
ところでこれは今日焼いたクリームパン。
極論を言えば、パンを焼いてもキャバクラと同等の効果が得られるので軍資金が心許ない方なんかはぜひお試しください。
31歳主婦、はじめてのキャバクラ。(上)
ウユニ塩湖には一度行ってみたいと強く思っているのだが、それと同じくらいキャバクラにも行ってみたかった。
嘘のような本当の話しで、大人になってから親しくなった私より年下の女友達は、皆かなりの割合で1度や2度、キャバ嬢として働いたことがあると口を揃えて言うのだ。最早女子の一般教養化しつつあるのでは、キャバクラ。何を隠そう夫もしばらくの間どハマりしていたキャバクラ。うちの資産の大部分を吸い込んだキャバクラ。キャバクラという名のブラックホール。一体どんなところなの?とまわりの男友達に聞くと、「何回か行ったことあるけど全然楽しくないよ」「俺は別に好きじゃない」とみんながみんな口を揃えて言う。……そんなわけないだろう!!!みんなが別に好きじゃないならなんで営業してるんだ。女性店員が男性客を接客する、そういう基本的な知識はあるものの、とにかく実際のところを知りたかった。場の空気や、やり取りの中身、一度はこの目で見てみたかった。しかし私は女性なのでキャバクラの客になれない。でも行ってみたい。でも行けない。
……思いを募らせ続けて足掛け5年。思いがけず、チャンスが到来したのである。ある日の友人(40歳・男性)との会話の中で、私が何気なくキャバクラへの好奇心を語ったところ、「じゃあ行ってみる?」と友人。「え、女性でも行けるんですか?」と尋ねると「全然行けるよ~」とのこと。…知らなかった!聞けばキャバクラには男性客に連れられて女性客も訪れたりするらしいのだ。行きたい行きたいと願いながらも、いざ行けると聞くと女性が行って何するんだという疑問も湧いてくる。そういう疑問も解決したいし、やっぱり行けるのならば是が非でも行ってみたいですと懇願。頼れる友人に早速、六本木のキャバクラに連れて行ってもらうことになったのだ。
余談だが私はその日、子供達のためにお寿司の出前を頼んだ。喜びながらお寿司を食べる子供達に「ママはこれから、キャバクラに連れて行ってもらってくる。どんなところがしっかり見届けてくるね!」と力強く話した。子供達は「わかった!頑張ってきてね!」と私を送り出してくれた。
さて、六本木のキャバクラに出向く上で、我々には1つ、くれぐれも気をつけておかなければならないことがあった。というのも六本木とは、知る人ぞ知る、かつて夫のシマだった場所なのである。その力がどの辺りまで及んでいるか未知数だったが、私が身内であることが明るみに出ると厄介なことになる可能性もあると踏み、私と友人はあらかじめ次のような設定を決めて山に挑むことにした。
私:夫のキャバクラ通いに悩まされている既婚のOLあきこ
友人:亭主のキャバクラ通いなんか大したことないよと教えるために部下(私)をキャバクラに連れてきた上司
口裏合わせもバッチリ。私の気合いも十分。これが数年ぶりのキャバクラだという友人も、やはりどことなく活き活きしてる。活き活きした様子で「いざキャバクラ!」と快調に古典ギャグを飛ばしてくる。なるほど、こういう感じがキャバクラ文化なんだなと早くも1つ学びを得たところで、いざキャバクラ!
手始めに我々は、友人が数年前に通っていたSという店を目指した。しかしいざ現場まで行ってみると、残念なことにそこは閉店していた。そこで同じビルの別のフロアの店に入ることになった(六本木には一棟全部キャバクラ、というビルが存在していたのだ)。
…が、小心者の私はエレベーターに乗り込む時点で不安に襲われた。ほんとに行って大丈夫なのかと。瞬時に脳内でシュミレーションした。もし仮に私がキャバ嬢だった場合、お客が女性を連れてきたらとてもやりにくいと思う。男性客に気持ちよくおしゃべりさせようと思えば女性客がイラッとするかもしれないし、女性客を気持ちよくさせようと思えば男性客が退屈するかもしれない。非常に難しい。私たちは難しい客。すなわち望まれざる客なのでは……。「ほ、ほんとに大丈夫ですかね…」先行する友人に尋ねるも、豪快な友人は「大丈夫大丈夫~」と言いながら通路の奥へ奥へと躊躇なく進んで行く。なるほど、これが男達を吸い込むキャバクラという名のブラックホールか。私は緊張の中にも2つ目の学びを得たのであった。
そうこうしながら、ついにキャバクラに入店。
エレベーターを下り、うす暗い通路を抜けるとそこはキャバクラだった。
心配をよそに、女性客の私は難なく入店できた。拍子抜けするくらい何の問題もなかった。……が、すぐにぎょっとする光景に直面した。入ってすぐの場所に、着飾った女性達がずらっと20人くらい密集して並んで座っているのだ。なんだこれは、と。キャバクラって男女、男女で座るところじゃないのかと。ずらっと並んだ女性達、誰も会話すらしてないし、むしろ鏡見て化粧チェックしたりしてる人もいるし、一体どうなってるんだと、激しく困惑した。後々聞いたところによれば彼女達は待機中の女性達とのことだった。この日は雨が降っていたため客入りが悪く、奇しくも普段より大勢が待機所で待機していたそうだ。それにしてもなんというタイミング。なんという内装。彼女達の脇を通り過ぎて席まで進む、その間私はもう痛烈に針のむしろ状態だった。着席している大勢のキャバ嬢、その脇を闊歩するお客の私。ここはファッションショーのランウェイ…?いいえここはキャバクラ。女性らしさが売り買いされるマーケット。お客といえども女性である私は、ああ今この瞬間、完全にキャバ嬢に値踏みされているなという実感があった。もちろん彼女達もプロなので露骨にそんな態度を示したりはしない。直視出来なかったので大体の印象とそこからの推測でしかないが、さすがにじろじろとガン見なんてことはなかったと思う。それでも女性とは、一瞥しただけで値踏みできる生き物なのだ。それはそういうものなので仕方ない。お母さんキャバクラを見届けてくる、と子供に誓って家を出てきた私は強い気持ちで試練のランウェイを通過。黒服に案内され、テーブルまでたどり着いた。
友人と2人、4人席に向き合う形で着席する。お客が少なかったことや内装のテイストから、この時点では何かちょっとルノアールにいるような気分に。すると注文もしていないのに勝手に氷、グラス、ミネラルウォーター、ウィスキーのボトルが運ばれてくる。えっ、と驚いて友人を見ると、友人は全く驚いていないので、キャバクラというのはどうもこういうシステムらしいと察した。
ほどなくして、ついにそのときが来た。
私たちのテーブルにキャバ嬢がやってきたのだ。キャバ嬢が、やってキターーーー!!!のだ。集団でいると圧倒されるばかりだが単体でやってくるとやはり、なんというか、可憐。華やか。美しく飾られた、商品。ルノアールが一瞬にしてきらびやかなキャバクラに変貌した。私の隣、友人の隣に1人ずつ、着飾った奇麗な女の子が座った。本当に隣に座るのか!本当に女の子ポーチ持ってるのか!もう色々大興奮。絵に描いた様なキャバクラ、その中に自分がいるという可笑しさに、涼しい顔をしようにもついつい笑いがこみ上げてくる。
友人が言うにはこの店はキャバクラの中でも価格的に中ランクとのことだったが、にも関わらずやってきたキャバ嬢は揃ってものすごく可愛かった。とくに私の隣に座った女の子はももクロのしおりん似で超小顔、超色白、おまけに手足はダルシムの様に長かった。
「こんばんは~」
そんなキャバクラでも、会話のスタートは一般的な挨拶からという本日3つ目の学び。
「こ、こんばんは…」
緊張のあまり小声になる私に代わり、ここでは上司という設定の友人が状況を説明してくれた。
「いやね、彼女は俺の会社の部下で既婚者なんだけど、旦那がキャバクラ大好きで悩んでるらしくて。どういうところか知りたいっていうから連れてきたんだよ」
そこで、今だとばかりに上司に続いた。
「さすが上司、説明がお上手ですね。そうそう、そうなんですよ。キャバクラに来たかったんです。女性が来てもいいものか迷ったのですが……」
すると隣にいたしおりん似のキャバ嬢がにこやかに答える。
「女性のお客さんも結構いらっしゃるんですよ〜。今日ももうお一方…ほら、あそこのテーブルに。」
そうなのだ、この日は私以外にも女性客がいたのだ。しかしキャバ嬢がテーブルに着くとパッと見でどれがお客でどれがキャバ嬢かわからない。実際キャバ嬢たちも分からなくなるらしい。これを聞いて少し安心した。
私たちは、注文してないのに出てきたウィスキーの水割りで乾杯した。
「旦那さん、キャバクラ好きなんですか?」
「ええ、そうなんですよ。本当に大好きで困っちゃってて。」
「え〜それは嫌ですよねえ。私もこんな仕事してますけど、正直キャバクラに行かない人と結婚したいです(笑)」
「ですよね〜」
他愛もないやり取りを交わしながら考えていた。
私は自分で言うのも何だがかなりコミュニケーション能力が高く、色々と足りない能力をコミュニケーション能力だけで補ってきたようなところもある。だから様々な会食、お酒の席ではわりと主体的に場の空気を読み、話すにしても聴くにしても、会話の主導権を握ることが多い。で、私は今日、その能力をここキャバクラで一体どの程度発揮するべきかと。
おそらくキャバクラというのは、お客がそんな算段をしないで、好き勝手に話して気持ちよくなることが受け入れられる場所なのだろう。 キャバ嬢という存在もそれに最適化されているはずだし、ましてやここでは上司という設定の友人(男性)がいるので、私が場の空気を読み始めたらキャバ嬢もいい気がしないはず。でもキャバ嬢がいい気がしないだろうと考える時点で私が空気を読もうとしているので、これではせっかく来たキャバクラの醍醐味を味わうことにはならないのではなかろうか。一方で私には友人とキャバ嬢とのやり取りを盗み見ることで男と女のキャバクラの真実を突き止めたいという願望もある。限られた時間の中でこれらの目的を達成するために私が取るべきアプローチとは……。
あれこれ考えを巡らせていたところに、向かいに座る友人から早くもすごい発言が出た。
「よし、もうなんでも好きなもの飲んでいいよ!」
キャバ嬢たちが「わぁい♡」 と喜ぶ。しばらくすると我々のテーブルにボトルのシャンパンが運ばれてきた。
すごい、完璧なキャバクラ感。
話には聞いていたけどこんな風にシャンパンがオーダーされるのか。こんな風に出てくるのか。そのとき私は思った。そうか、ここにはここでしか成立しない、私の知らないコミュニケーションの形があるのだ、と。色々先回りしようとしてもしょうがない、ここは流れに身を任せるよりほかないのだ。
「ちなみに……シャンパンっていくらなんですか?」
しおりん似のキャバ嬢に尋ねると、「メニュー見てみますか?」と言ってすぐにメニューをみせてくれた。そもそもキャバクラでお酒のメニューがあると知らなかったのでこれは驚きだった。キャバクラのお酒というのはさながら寿司屋の寿司のように、メニューがない中で値段を予想しながら頼むものとばかり思っていたのだ。思っていたより親切設計か。
しかしパラパラとメニューをめくってみると驚愕。ヴーヴ・クリコ30000円、クリュグ200000円…とにかく0多い!
「高っ!」
思わずもらすと友人が
「あきこちゃんの旦那さんは一晩で2000万使うって噂で聞いたけど」
ととんでもない爆弾を落としたので途端にキャバ嬢たちがざわっとした。
「旦那さんの行き着けはどこですか?!」
「そのお金家に入れてよって思わないんですか?!」
「なんで愛想尽かさないんですか?!」
実際のところ夫のキャバクラ熱は数年前に収束しているものの、せっかくなので全盛期の行き着けの店をLINEで尋ねつつ、あの、その、といった感じでその他の質問の答えに窮していると、友人の隣に座っていた方のキャバ嬢(23)が、すべてを引き取って、もう分かった、皆まで言うなといわんばかりの頼もしい口調で言った。
「……お客さん、おいくつですか。31歳?まだまだお若いじゃないですか。これからですよ、これから。ここで働いてる女の子にも、お客さんと同世代の人も沢山いますよ。応援してます。」
思いがけずキャバ嬢に激励される想像もしていなかった展開に。
〈つづく〉
24人の子供達とパンを焼いてきた
娘の通う小学校には「総合」という学習があって、1年間、またはそれ以上かけてクラス全員で1つの課題に取り組むのだ。テーマはその年によってさまざま、長男のときは「めざせうどん職人」ということで2年間かけてうどんの手打ちを極めた。こんなにしょっちゅううどんを打つ小学生はさすがの香川県にもいないだろうというくらい熱心で、最終的には某大手製麺会社の強力バックアップのもと、うどん煎餅というオリジナル料理をも作り出した。
そんな総合の学習で今年、小3の娘たちはパン職人を目指すことになったのだ。
室温、水温、粉の種類、分量、発酵時間さまざまな要素が複雑に絡み合った奥深さを持ちながら、しかも捏ねるとめちゃくちゃ気持ちいい製パン。子供の教育になんてピッタリなんだ。盲点だった。先生、ナイスチョイス。これは黙っていられないぞ、ということで早速初回の、なにも分からないけれどとりあえず焼いてみる授業をお手伝いしてきた。先生曰く「今日のすべての予定をパンのスケジュールにあわせました。休み時間も掃除もずらします!眼科検診もうちのクラスだけ無理言って前倒しにしてもらいました!」とのことで本気をひしひしと感じながら授業がスタート。
「今日はビッグなゲストにおこしいただきました!日本パン大学を卒業、パンコンクールで優勝、パンを焼き続けて15年の、明子先生です!」という、担任の先生のご紹介を受け、私はたじろいだ。何一つ真実がない…!しかし子供達はそこに何一つ真実がないことを見抜いた上で、一瞬でドッと沸いたので、先生さすがプロだなと感銘を受けた。たまたま目の前の席に座っていた我が娘も困ったように笑いながら、なんだかとても嬉しそう。そこで私も子供達にご挨拶した。
私「みなさんこんにちは。日本パン大学を卒業し…」
子供達「アハハハ!」
私「パンコンクールで優勝…」
子供達「アハハハ!」
私「パンを焼き続けて15年の…」
子供達「アハハハ!」
私「明子先生です、よろしくお願いします」
子供達「アハハハ!」
大人なら2回重ねたあたりでアハハハ、が徐々に義務的になって3回はもういいよみたいな投げやりな愛想笑いになっているのが常だが、小3の子供達はこれが自分たちの使命だと言わんばかりに最後まで同じトーンでウケ続ける。なんて律儀、なんて健気!
正直、製パンは難しい。捏ねるのに力もいるし、丸めるのにすら結構なコツがいる。しかしこんなにも律儀で、健気で、根気づよく笑う、使命感に駆られた子供達ならば……!
私の予感は的中。初めて強力粉を捏ねる子供達だったがみんなかなり手つきがいい。子供の作業だからと捏ねだけで1時間はみていたが、30分もしないうちにあちこちの班で非常に良い状態のグルテンが散見され出した。しかし捏ねは気持ちがいいので子供達も夢中、止めようにも止まらない。そのうち生地の扱い方にも誰に教わったわけでもないオリジナリティが出てくるので面白い。柔らかく弾力性があるものを揉み揉みする際につい性格が出ちゃうのは大人も子供も同じなんだな、などと考えているうちに、まとまりきった生地を、まだだ、まだ許さんぞといわんばかりにブチブチ千切ってはつなぎ、千切ってはつなぎする子も現れ始めたのでヒヤッっとし、先生さすがにもう良さそうです、とお伝えし、行程は一次発酵に。
子供達の暖かい手で捏ね上げられた生地はぐんぐん膨らんだ。
発酵に要した1時間、子供達は休み時間と学習のため家庭科室を出ていたのだが、戻ってきて生地を見るなり口々に絶叫。
「キャアアアアア膨らんでるーーー!!!!」
そ、そんなに!?そんなに喜んでくれるの!?たしかに発酵して膨らむってすごく面白くって、子供達はきっと驚くだろうな、と予想はしていたけれど…まさかあちこちで叫び声が上がるほど歓喜してくれるとは思いもよらず、あまりにも素直、そしてやっぱり律儀で健気な子供達に思わず目頭が熱くなる。漫画『ちはやふる』で転校してきたばかりの新が千早に出会い、「かるたって面白いね!」って言われたときの喜び…「チームになってみたいんや」が実現された喜び…。これまでの孤独のパン作りが走馬灯の様に脳裏を駆け巡った。膨らんでびっくり、膨らんで嬉しい気持ちを私と同じ、あるいはそれ以上に強く感じ、素直に表現してくれる小さな仲間達…!
発酵の状態を調べるためにフィンガーチェックといって、生地に一度指を突き刺す行程があるのだが、一度、と言っているのに一部の班の子供たちの生地はアタタタタ!みたいな襲撃に遭って蜂の巣になっていた。ちがう、それはちがう、と内心慌てたがこれも初回。徐々に1つ1つ教えていこう。
一次発酵を終えた生地を、拳でぎゅーっと押さえ込むようにして発生したガスを一度抜く。これを「パンチング」と言うのだが、パンチという言葉で火がついた一部の男の子達が親の敵のように生地に辛辣なパンチを繰り出し生地がサンドバッグ化していた。ちがう、それはちがう、とやはり内心慌てたが、やはりこれも初回。徐々に1つ1つ教えていこう。……彼らはせっかくできた私の仲間なのだ!
成形の際、1人の男の子が丸めた手のひらサイズのパン生地を見て「これに小さな丸い生地をもう一個乗せたら乳首」とニヤッと笑いながら呟いた。そういえば先日パン作りを初体験したというアラフォーの友人が「丸めた生地に梅干しを乗せたら乳首」と似たようなことを言っていたのを思い出し何とも言えない気持ちになった。
時間の関係で子供達は給食を食べに教室に戻り、その間に焼成は大人で行った。初めてにしてはかなりいい出来だ。
給食後、家庭科室に戻ってきた子供達は焼き上がったパンを見てやっぱり絶叫して喜んだ。試食の段になると、もう何日もご飯を与えられていない飢えた子供のように、バターもジャムもついてない素朴なパンを美味しそうに頬張った。
「焼きたてのパンってこんなに美味しいんだ!」
「残った2個は持って帰って家族6人で分けるんだ!」
「後1個食べたいけどママと妹に持って帰らなきゃ…」
最後の感想まで素直だった。
子供達との製パン、本当に楽しかった。準備の時間も含めると約5時間かかったが、それでも十分やってよかった。楽しい、面白い、びっくり、嬉しい、を思うままに表現できる純粋なエネルギーを浴びまくった、素晴らしい時間だった。
小さな仲間達とともに、これからも沢山パンを焼いていきたい。
※写真提供:大澤幸さん@ピザ名人 ありがとう!