松谷みよ子さんの綴った夫婦の形「小説・捨てていく話」

 

モモちゃんとアカネちゃんの本(1)ちいさいモモちゃん (児童文学創作シリーズ)

モモちゃんとアカネちゃんの本(1)ちいさいモモちゃん (児童文学創作シリーズ)

 

もしかしたら前にも一度書いたような気がするけど、気のせいかもしれないのでまたこの話を書く。

 

私や妹がまだ小さかった頃、母がよく読んで聞かせてくれた「ちいさいモモちゃん」。

モモちゃんが生まれた日に、靴下やチューインガムがお祝いにかけつけるところから始まる子供向けの童話だ。実家にはこの1冊しかなかったけれど、大人になって、私に子供が生まれてから、この本にはもう5冊続きがあることを知った。2作目から順に、「モモちゃんとプー」「モモちゃんとアカネちゃん」「ちいさいアカネちゃん」「アカネちゃんとお客さんのパパ」そして「アカネちゃんと涙の海」である。

 

モモちゃんとプー モモちゃんとアカネちゃんの本(2) (講談社青い鳥文庫)

モモちゃんとプー モモちゃんとアカネちゃんの本(2) (講談社青い鳥文庫)

 

 

 

 

 

 

モモちゃんには途中からアカネちゃんという妹が誕生し、4作目以降はお姉さんになったモモちゃんに代わり、アカネちゃんが主人公となって物語が続く。しかしちょうどその頃から物語は、子供向けにしてはシリアスな展開を迎える。靴だけの姿で帰ってくる実態のないお父さん。病に伏し、死神に狙われるお母さん。お母さんに「あんたのご亭主は歩く木だ」と告げる森の魔女 。タイトルの通り5作目でお父さんとお母さんは離婚し、お父さんはお客さんになる。そして6作目の「アカネちゃんの涙の海」では、お父さんは亡くなってしまうのだ。

 

小説・捨てていく話

小説・捨てていく話

 

 松谷みよ子さんの書かれたこのエッセイの中では、そんなお父さんとお母さんの本当の話、松谷さんと亡くなったご主人との物語が、小説という体裁をとって語られている。仕事場として別宅を近所に借りるといいだした夫。女性と住むのだと知りながら、言われるままにお金を用立る妻。なんとかお金ができたら夫と二人でのんきに契約に出向き、夫と誰かがこれから暮らすであろう住まいを整える妻。そんなところから話が始まる。

正常が異常、異常が正常な環境の中で、劇団を抱える夫を、精神的にも、経済的にも支える妻。しかし幼少期の体験から過度に喪失を恐れる夫は、過激な破壊で何度も何度も繰り返し妻を試す。

 

「僕は人の前で君を殺す。君は人の見えないところで僕を殺す。どちらも罪深いことです。」

 

夫が妻に書いた手紙に記されていた言葉。弱い自分を見捨てない妻も、また弱い自分を見捨てる妻も、どちらも自分を殺す脅威であり、同時に、すがらずにはいられない絶対的な存在だったのだろう。

夫に別れを告げたときのこと、父の死を受け涙の海を作った子供たちのこと、夫の遺骨を埋葬したときのこと。描かれているひとつひとつのシーンはすべてとても切ない。「夫婦とはまことに切ないものです」 帯に抜き出してある言葉のとおり。けれどもそのもととなっている夫と妻、父と子の絆はそれぞれとても太く、強く、ときに切ろうにも切れない呪縛のようにも思われる。この本の素晴らしいところは、そういった人間の困難さまで、どこかファンタジーのように、優しく、美しく綴られているところだ。

女性として、こんな風に生きたいと常々思ってきた。

 

松谷みよ子さんは先月28日、老衰で亡くなられたとのこと。

心よりご冥福をお祈りします。