子供のフリをしていた約2mの男との話。

思い起こせば1年ほど前に、ひょんなきっかけでカイくんという身長が2mくらいある男の子と知り合った。大学院を休学中というので何度か息子の家庭教師に来てもらい、お礼に夕飯をふるまったりしていた。当初あまりカイくんのことをよく知らなかったものの、聞けばお母さんが昨年亡くなり、ドイツ人のお父さんはもう長いことドイツに住んでいるらしい。現在は、作家だったというおじいちゃんが生前残した家に1人で住んでいるという。

 

あるときカイくんちで開かれたバーベキューにお呼ばれし、件のおじいちゃんの残した家にお邪魔したところ、「おじいちゃんが建てた」からはとても想像できない、ものすごくかっこいいモダン建築の豪邸だったので、思わず「おじいちゃん何者?」と尋ねた。そこでようやく、おじいちゃんが田中小実昌という著名な作家であったことが判明。しかし教養のない私はそのときまで田中小実昌という作家を全く知らなかったのだ。カイくんに本を何冊かもらったので後日なんともなしに読み始めたところ、痺れた。淡々と語られる戦争体験の中にも、よくぞこれほどと驚くほど沢山ある女性たちとの情事にも、また奥さんや家族とのエピソードの中にも、泥臭い愛と深い優しさが溢れている。全く飾り気がないのにすごくカッコよかった。こりゃモテるだろうなと思ったし、ありきたりではあるが、奥さんや娘さん(つまりカイくんのおばあちゃんとお母さん)はさぞ大変だったろうと思った。過去として語られる女性たちには一貫して紳士的なのに、奥さんのことだけは可愛げがないとかボロクソに書かれているところなんて、なんてずるいんだろうと!他人なのに憤りながら、まんまと一言一句、噛み締めるように読んだ。とてもよかった。 

 

香具師の旅 (河出文庫)

香具師の旅 (河出文庫)

よかった、よかったとあちこちでうるさく言って回っていると、同じ様にファンと言い回った結果渋谷の酒場でお目にかかったAV監督で作家の二村ヒトシ先生も、実は大の田中小実昌ファンだったということが分かった。そこで改めて二村先生とカイくんちにお邪魔し、おじいちゃんの書斎を見せてもらうことになった。

 

おじいちゃんの書斎には哲学書からSF、エッチな雑誌まで、大量の本がずらりと並んでいた。もちろんご本人の書かれた本、訳された本も沢山並んでいて、私のような新参ファンが比較にならないほど熱心なファンである二村先生は「コミさんの本は全部読んだと思っていたのに持っていない本がある!」と興奮を隠しきれないご様子であった。

その日の夜、我々はカイくんとともにモダンなおうちを後にし、新宿の田中小実昌行きつけの小料理屋さんに連れて行ってもらい、田中小実昌の食べたオムレツを食べた。

おうちと、本と、著作と、行きつけのお店と。カイくんのおじいちゃんは人一倍たくさんの足跡を残したが、おまけに昨年亡くなったお母さんのりえさんも作家だったのだそうだ。

 

ちくわのいいわけ

ちくわのいいわけ

 

 

生前書かれたエッセイが「ちくわのいいわけ」というタイトルで最近書籍化され、なんとそのあとがきをカイくんが書いてるというので早速拝読した。

そしたらもう大変だった。

主にりえさんがドイツ人の旦那さんに出会ったり、別れたりしたことが、おしゃべりするように綴られている。話はあっちこっちに飛んで、戻って、いったりきたりしながら最初から最後まで途切れずに続く。そんな中で少しずつ描き出される夫婦の形が、あまりにも身に覚えのあるものだった。途中から私はすっかり自分が自分なのかりえさんなのかわからない気持ちで読み進めており、時折登場する子供の頃のカイくんは私の息子だった。いいわけ、と題されていながら大事な部分の理由は潔いまでに語られていないから、きっとなんでそうなるのか全然理解できないという人もいるだろうけれど、私にはとてもよくわかった。

終盤、夫婦の形を変えるような大きな出来事が起き、図らずもその瞬間に立ち会ってしまう幼少期のカイくん。恐ろしいことにあとがきで「あのとき僕は子供のフリをしていました」と白状してしまっている。子供が今まさに子供のフリしてるなってとき、親もまた薄々勘付いているのである。けれどもできれば気付かないフリで通したいところなので、この直球にはガツンとやられてしまった。

とは言え、このエッセイがこんな形に仕上がった背景には一貫して息子の存在があることは明白で、同時にカイくんもまたそんなお母さんの思いをしっかり受け止めている。田中小実昌という人は物事に意味を持たせるのを嫌う人だったと二村先生が仰っていた。だからこういうことを言うと叱られてしまいそうだけど、読後、私はとても救われたような気持ちになった。いい本だった。

【追記】

カイくんが登壇する「ちくわのいいわけ」発売記念イベントがB&Bで年明け、1/19に開催される模様。

 枡野浩一×田中開×須川善行 「ちくわの思いで――田中りえさんをめぐって」『ちくわのいいわけ』(愛育社)刊行記念 | B&B


http://instagram.com/p/wXQg_eh-ze/

ところでこれは先日作った失敗パンのピザ生地で作った朝食のピザ。ちょっと生地が甘かったけど、食べ応えたっぷりに仕上がった。