年齢ってなんだろう。不自由な子どもから、自由な大人に生まれ直す時

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化粧品ブランドSK-IIが、10代〜50代の女性1400人に行った「女性の生き方に関する意識調査」によれば、回答した20代女性の7割以上が、30代を迎えることに漠然とした不安を感じると答えたそうだ。単に年齢を重ねること、未知なる世界への恐怖かというと、そうでもなさそう。というのもこの調査によれば、40代、50代という、30歳を過去に通り過ぎた女性たちの多くもまた、20代女性と同様に、各年代の節目の中で、30代を迎えることに最も不安を感じた、と答えているのだ。

20代を終えて、30を迎えるまでの女性には何かしらの重圧があり、さらにそれは、もっと年齢を重ねる中で次第に影を潜めていくものでもあるようだ。


また、同ブランドが制作した動画「期限なんてない」では、この結果がより象徴的に描かれている。生まれたときから無条件に30歳までのカウントダウンを余儀なくされてきた女性達が、完璧でなければ30歳になれないの?といった不安や焦燥にかられながらも、ついに30歳を迎え「強い気持ちを持つことで運命は変えられるはず」と奮起。その瞬間に、年齢という縛りから解放されるというストーリーだ。




私が30歳になった頃のことを思い出してみると、初めて家庭の外に出て仕事をして、それから少し経って離婚をして、結構いろいろなことがあった。

高校を卒業してすぐに結婚し、子供を産み、専業主婦になった私は、一度も働いたことがないことをずっと負い目に感じていた。10年以上前のあるとき、そのことを、当時仲良くしてくれていたミキちゃんという年上のお姉さんに打ち明けると、彼女は笑いながらこんな風に言った。

「きっと大丈夫だよ。本当に必要になったら自然とそうできるときが来るから」

それだけならきっと、ただの気休め程度に受け取って、これほど長く記憶に留めておくこともなかっただろう。けれどミキちゃんはこのあとに、一人のイギリス人女性の半生について話してくれた。勤めていた会社を辞めて、一時ロンドンで暮らしていたミキちゃん。現地では、小さな食堂のウェイトレスとして働いていた。その食堂には、アイリーンという名物おかみがいて、お客の多くは食事とともに、アイリーンとのおしゃべりをお目当てにやってくる。……というと、ついにこやかで朗らかな、たとえば映画「タンポポ」に出てくる宮本信子みたいな女性をイメージしそうなところだけど、ミキちゃんの語るアイリーンはその実もっと強くて、もっと笑わない、おまけにちょっと意地悪なところもあるハガネの女。ロンドン滞在中のミキちゃんは、よく理不尽なことで叱られては、腹を立てたり、泣かされたりしていたそうだ。けれど、そんなアイリーンにも、当然のことながら世間を知らなかった若かりし時代があったわけで。恋をして、結婚をして、一時は主婦として家庭に入っていたものの、旦那さんに先立たれ、ろくに働いた経験もないまま、突如自分で稼いで生きていかなければならなくなった。そんな事情からオープンさせたのが、ミキちゃんの辿り着いた、あの食堂だったのだという。

“だから大丈夫。生きていくために必要となれば、いつだって、何だってできるんだと思う”と、そんな風にミキちゃんは言ったのだ。

今思えば私は、このときになんとなく覚悟を決めたような気もする。今、この話を聞いたことにはおそらく意味があるのだろう。遅かれ早かれそのときがきて、私もまた似たようなことを経験するのだろうと、心のどこかでたしかに思った。そのときというのはもちろん、それまで享受していた幸せな結婚生活が何らかの形で終わるときで、当然まるっきり素直に受け入れることはできなかったものの、かといってこの話をすっかり忘れてしまうこともできなかった。

漠然とした予兆があったのか、もしくはイメージが結果を引き寄せてしまったのか、それから約10年後、ちょうど30歳を迎える頃に、やっぱりそれは現実になり、アイリーンと同じように私も、自分で働いて、自分で稼いで、そして誰の妻でもない者として生きていかなくてはならなくなったのだ。

完全に不本意だったものの、少しの悪あがきののち、もはやどうしようもないと腹をくくった。で、それまでなら“痛々しい”と思われそうでやれなかったこと、やらなきゃと思いつつ臆病で手が出なかったことを、とにかくどんどんやってみた。そうすることで気も紛れたし、何よりやらないと生きていけない、死活問題だったのだ。ところが、そういう理由でなりふり構わなくなってからというのは、思いのほかサイコーだった。下手な鉄砲だって数打てば当たるんだな、というような、しっかりとした手応えを毎日のように感じられる。途方もなく難しいと思っていたことが案外そうでもないと気づくのはこの上ない快感で、むしろ、どう考えても破綻しているのに、どう考えても続かないのに、それでもなんとか同じ現状を維持したいと、無理やり体裁を繕っているときの方がよほど苦しく、よほど生きづらかった。

結婚生活は続けられなかったけど、仕事は得た。誰かの役に立っている実感を得る機会に恵まれた。頑張ってもうまくいかないこともあれば、急にトントン拍子でうまくいくこともある。そうか、世の中とはそんな風にできているのだなあと、思わされたものだった。


冒頭で紹介したアンケート結果のように、30歳を境にその前後で、私たち女性の眺める景色は何かしら大きく変化するらしい。思うにそうなる理由のひとつは、多くの女性が30歳頃に漠然と、恋愛や結婚、出産やキャリア形成など、理想の自分が実現できたのか、できなかったのか、その暫定的な答えを出すからなのかもしれない。動画のように、本当は大抵のことに期限なんてなくて、道半ばの答え合わせなんて必要ないんだけど、でも一方で、自分で適当なところに節目をもうけて、一旦その時点の結果を受け入れるって、実はそんなに悪いことじゃないようにも思う。

何しろ20代の頃というのは、とにかく自分の力だけで何だってできるはずだと思っていた。できないのはすべて自分が悪い、まわりの状況のせいにするのは甘え、努力が足りない、と。だけど、実はそんな考え方こそ傲慢で、お子さまだったなと今は思う。努力しただけすべて報われるなら、死ぬほどトレーニングを積んだスポーツ選手はオリンピックで全員金メダルを取るべきだけど、現実にはそうもいかない。毎日、根気強くトライアンドエラーを積み重ねても、あとは運を天に任せて待つしかない、そういうことが世の中にはたくさんある。

うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。死ぬまで延々と自分として生きていかなきゃいけないから、できる自分も、できない自分も、いつかは受け入れなければならない。特にできない自分を受け入れるというのは、悔しかったり、悲しかったりするけれど、まあできないことだってあるよな、できない自分だっているよな、タイミングだなと、そんな風に自分をそのまま受け止められるようになったら、きっとその瞬間にこそ見えている世界が一変する。自分が自分にかけていた過剰な期待を脱いで、ぐっと身軽になることができる。自分を許せるようになる。

自分の力だけで何でもできると思っているかぎり、迫りくる時間は敵でしかないけれど、一度、自分がいかに非力かを知ると、時間はときにどうしようもない自分の背中をぐっと押して、いやがおうにも一歩を踏みださせる、強い味方になってくれもする。またそのもっと先に、“最終的にはなるようにしかならない”と考える回路を作るのだって、決して逃げや諦めじゃない。むしろ、年齢と経験を積み重ねることでこそ勝ち得た、自分への信頼の証だ。

自分なのか社会なのか、誰が作ったかもわからない30歳というボーダーラインを前に不安や焦りを抱く、答え合わせをしようとするのは、そこから先、本当に自由な大人になるために有効な通過儀礼だ。子供から大人に生まれ直す、生まれの苦しみを通り抜けた先には、どうせ大したことなんてできないからこそ何だって好きにやれる、伸びやかで、清々しい世界が広がっている。

特別お題「『選択』と『年齢』」

はてなブログでは、SK-IIの提供で特別お題キャンペーンを実施しています。キャンペーンの一環として、多方面で活躍するはてなブロガーに「『選択』と『年齢』」について記していただきました。