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「素直が1番」は強者の論理か。

「素直が一番ですよね」と職場の人に何気なく言ったら「それはリア充の論理であって非リアはどういう状態が素直なのかそもそも分からないわけです」と言われ、なるほどなぁ、とおもいました。

素直さがなんでリア充と非リアに関係するのかって、それはやはり相手をいかに信用し切れてるか、ということに関わってくるからですよね。相手の前で素直に気持ちをさらけ出すというのは、相手を少なからず信用していなければ出来ないことで、素直になれないのは受け止めてもらえると信じていないからです。
相手が実際のところ信じるに足らない人物だから、という場合もあれば、自身が過度に人間不信になっている場合もあるでしょう。いずれにしても、人間不信だとリア充までの道のりにはなかなかハードルが多そうです。
だけどわたし、個人的には、素直になれない不器用な人は好きです。そこに山がある、ただそれだけの理由で高い山を制覇したくなる登山家のように、素直じゃない人の本心の周りに張り巡らされた鉄壁のガードを、あの手この手で打ち破りたくなります。
でも、相手がわたしに素直にならない理由のひとつには、わたしが信用するに足ると思われていない可能性があげられるかと思うので、そう考えると少しさみしくなってしまいますね。また、さみしさをこじらせてだんだん憤りすらわいてきて、何でそんなに出し惜しみするんだろう、そんなにケチケチしなくていいんじゃないの?よほどのものを持ってるとでもいうの?ちょっと臆病すぎるんじゃない?丸腰になってみなさいよ!と内心挑発的な気持ちを抱いたりします。でも一方で、その人が長年かけて培ってきた鉄壁のガードに揺さぶりをかける、という行為は大変責任重大です。それをやるからには、やっぱり個個のケースで、それなりの覚悟が必要となってきます。そんな覚悟のない以上、へたに他人の聖域に踏み込もうとしてはいけないんだな、と思いますので、この人は素直じゃない人なのかな?という人と対峙したとき、わたしはそっと心の中で、その人の幸せを祈ります。いつか暖かな太陽の光が、この人に雪解けの季節を運んできますように、と。