自分のためには頑張れない。

わたしの勤めている会社は決してゆる〜い会社ではなく、どちらかというとたえずピリッとした緊張感に包まれています。言葉のプロが率いる会社なので、社内メールを書くときも未だに毎回ドキドキしますし、書き終えてもなかなか送信ボタンが押せません。
さまざまなことが決定、実行されるまでのスピードもすごく速いので、気をつけていても大事な情報を拾いそびれてたり、埋れさせてしまっていたり、そういうことも、たまに起こってしまいます。

毎日必死でついていっている感じですが、それでもふとしたときに、昔できなかったことがちょっとずつ出来るようになってる!って気付くことがあって、やっぱり働くっていいなぁとおもいます。

子育ても仕事も、自分でない誰か、自分でない何かのために翻弄される作業ですが、そういうスタイルが割とわたしには合ってるのかなーと最近おもいます。自分なんていざとなったらなんとか生きていけるだろうし、駄目だったとしたらそれはそれでツケが回ってきたんだなって諦めるしかない、と自分のこととなるとそんな風にドライになってしまうので、自分のために頑張る、というのはわたしにとってちょっとハードルが高いことなのです。ある意味でそれは自分への信頼なんだろうともおもうけど。なにしろわたしは人が悪いので、他人を根底では信用していないのでしょう!でも、動機は何であれ、自分の外にある目的のために尽力していると、その過程で得た経験値というおこぼれをたまに味わってホクホクできるので、やっぱりわたしにははこういうやり方が合っているなぁという風におもうのです。

さらに言うと、わたしの勤め先は厳しさのなかにもじんわりとあたたかい愛のある会社なんですよ。あまり知られていないと思いますが。。w
太陽のような(そしてときに台風のような)社長を中心に、日夜みんなで笑ったり、悩んだりしていると、たいへんなことがあっても、よし、明日も頑張るぞー!と、ついつい思ってしまいます。

女たらし、ならぬ、人たらし、という言葉は、私の仲間内ではかねてからの頻出単語でして、老若男女問わず出会う人をたちまちメロメロにさせて、この人の力になりたいな、と思わせる不思議な魅力を持った人が、不思議と世の中にはいるんですね。わたしのこれまでの人生はおもにそんな人たちとの度重なる出会いに導かれ、翻弄された歴史、ということになるのですが、そんな話についてはまた今度書きます!

では今日も良い一日を!