SNSがなくても愛妻家アピールを効果的に使っていた柿本人麻呂
男性がSNSで愛妻家、良いパパアピールをしたがる件については、行為そのものがどれほど打算的であろうと結果として誰を嫌な気持ちにするわけでもないので基本的に当方は支持という姿勢をとっております。
夫婦あるいは家族というのは、それぞれを大切に思い合っていればこそ不安になったり、苛立ったり、確かめたくなったりするものなので、何ということがなくともとりあえず自分は家族に帰属していると世間に主張することで、大切な誰かの不安の芽を摘むことができる(かもしれない)としたら、それを望んでとる行動に罪はないというもの。
ところで現在、百人一首を暗記中の我が家。今日はひとつ、こんな歌をご紹介したい。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
(柿本人麻呂)
【意味】
山鳥の長く垂れ下がっている尾のように長い長い夜を愛するひとと離ればなれになって、ひとり寂しく寝るのだろうなぁ。
【干渉】
人麻呂は、とても愛妻家だったそうです。この和歌は、現代の出張のような仕事で、家を離れなければならないときに詠んだものと考えられています。仕事先へ向かいながら、「あぁ、今日は奥さんと一緒に寝られないんだなぁ。寂しいなぁ。」と考えていたときの気持ちが和歌になったのでしょうか。あなたのお父さんもこんなことを考えながら、出張に出掛けてるかも知れませんね。お父さんが帰ってきたら、お母さんに会えて嬉しそうにしていませんか?お父さんが出張に出掛けたら、この和歌を思い出してみてくださいね。
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)|子供と愉しむ百人一首:百人一首の意味を知ろうより引用
柿本人麻呂が出張中にこの歌を詠んだ、その目的と効果に思いを馳せたとき、SNSなんてなかった時代の先人と現代を生きる男性達が、時を越えて分かり合える可能性をひしひしと感じませんか。
出張中こんなに寂しかったよ、とりあえずそう言われれば嘘か本当か分からなくても妻は悪い気はしないし平和を維持できる。しかしこの歌の最大のあざとさは対象を決して妻に限定しておらず、きわめて汎用性が高いという点にあります。私の経験から察するに出張から帰れば妻に、また出張先では現地妻に、きみのことだよと吹聴して回った可能性が大いに考えられ、かなりしたたかな男と見て間違いない。
現代のような通信手段がなくともここまでのことが出来るわけだから、我々のSNS上でのあらゆる打算的な取り組みにも、更に改善の余地があるのだろうと、まだまだ甘かったな、と思わされる。先人に学べとはよく言ったものです。
ところでこれは今日焼いた糖質制限パン(失敗) 。ふすまや大豆粉、グルテンパウダー、ラカルトSなどを使って焼く糖質制限パン。実はもう過去に3回試したものの一度も成功していない。全然膨らまない。落胆から、撮影にも愛をもって挑むことが出来ず写真も投げやり。しかしこの失敗を引きずることなく、気持ちを入れ替えて次回こそうまく焼きたい。