小学6年生に人狼で処刑された
去年の秋頃、息子を含む小学6年生の男子10人弱と人狼ゲームをやった。彼らは人狼を知らなかったので私が手取り足取り教えて仕込んだ。はじめの2回、3回は私がゲームマスターを担当したけれど、子供達はすぐに基本的なルールを覚えたので、今度は私がゲームに参加し、子供の1人がゲームマスターになった。
そのゲームで、私は村人だった。
誰が人狼だよ。
お前だろ?w
俺じゃねーよ!w
にやにやしながら饒舌に探り合う少年たち。そんな中でただ1人、見るからに賢そうな、メガネをかけた少年が、ずっと黙り込んでいる。
…◯◯君、人狼だね。
おもむろに口を開いた私は、強い確信を持ってその子を人狼と指摘した。
途端に騒ぎ出す子供たち。
大人の観察力をいかんなく発揮し、容赦なく勝ちに行く私。子供たちも私に従順。人狼はシビアなゲームである。許せよ◯◯君。大人としてそっと心の中で詫びた。
しかし◯◯君は冷静だった。
…えっ、私は人狼じゃないよ、村人だよ。
本当ですか?僕を人狼だと印象づけようとしている、怪しいですね。
私は村人だよ…、村人だから村人なんだよ!
空虚なやり取りの中で、1人、また1人と◯◯君の主張に賛同し始める子供たち。
おいおいそんな簡単に騙されるなよ、人狼はどこからどう見ても◯◯君じゃないか!だって私は村人だから!
必死の反論も虚しくそのターン、村人である私は満場一致で小学6年生に処刑されたのであった。
そして私の読み通り◯◯君は人狼だった。
このときの敗北は私の心に深い傷を残した。昨日まで味方だった友人たちがある日のささいなことをきっかけに態度を一変させてくる、そんなエグい事態が日常茶飯事だった幼少期の記憶がフラッシュバックするほど、つらく苦しい敗北だった。数多くいる息子の友人たち、みんな我が子のように可愛く思っているけれど、◯◯君のことだけは我が子のように可愛く思うと同時に、いつか雪辱を果たしたいライバルとして、あのとき以来、密かに機会をうかがっていた。
そんな◯◯君が最近見事、函館の名門男子中学の入試に合格したと言う。
…なんだ、ただの天才じゃないか。
聞けば受験直前に利き腕を骨折し、ギブスを付けると鉛筆が握れないというので固定なしの心許ない状態で挑んだ受験だそうだ。ただの天才でなく努力家でもあった。おまけにうちに来るたびにきちんと私に挨拶をするし、玄関では靴を並べる良い子なのである、◯◯君という子は。さすが私のライバルだ。
彼の合格について心から祝福するとともに、今こそ機は熟した。再び、31年間で積み重ねた経験と知恵を武器に、私は彼に戦いを挑むつもりだ。。!
続く。
最近焼いたココア・くるみ・金柑・ライ麦のカンパーニュ。少し焦げた。