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宿命に従順すぎると業を背負う

突如として我が身に降りかかるあらゆる災難を、総じて無茶振りと呼んでいる。災難と言えばそれまでだが、半端ない無茶振りきたな、と思えば必然的に面白く着地させなければならないような気持ちになる。なぜならそれは「振り」だからだ。ボールは私の手の中にあり、正面に投げ返すも、明後日の方に放り投げるも、重みに押し潰されるも、すべては私に委ねられている。ボールを手にした私は、意表をついた面白いリアクションで、架空の観客達をあっと言わせなければならない。
 
さあどうする!!!!
 
というのが無茶振りだ。しかし最近はそうやって勢いで奮起して乗り切るのもなんだか疲れちゃうなあという気もして、難しい局面のことを実験的に宿命と呼んでいる。というのも、無茶振りは必ず返さねばならないが宿命であれば粛々と受け入れるだけでも勇敢な行為なのだ。そこから宿命に抗い、宿命に打ち勝てたとすればそれもまた勇敢。宿命を背負うだけで自分に好都合な選択の幅が広がる。まだ実験段階だがなかなかいい手応えを感じている。
 
しかし一点気をつけておきたい点を挙げるとすれば、特に女性が宿命を受け入れ過ぎると、ともすれば業を背負いかねないということだ。ワケありの友人や紆余曲折あったバーのママ、いい感じに業を背負ってるなと思う女性たちは皆、妙なところで素直であるがゆえに、とにかく宿命に従順なケースが多い。宿命に抗わないという状況は例えていえば着物の帯をくるくるくる〜っとほどかれてもあ〜れ〜とか言ってほどかれるままに自ら回転するようなイメージなので、そのしおらしさを無意識に察した支配欲の強い男性がおのずと周囲に続々と集まってきて、気がついたら宿命にも男性にも翻弄されっぱなし、という事態に陥りかねない。それすら宿命として受け入れる度量があればそれもまた勇敢だけれども、なかなかそういう人はいない。翻弄されるというのは意思決定を自分でしなくていいからある面で楽なのだけど、やはり歳を重ねるごとに心も体も疲弊する。だからもし仮に怠惰にかまけて宿命に勝負を挑まない状況が続くようであればあとあと宿命が黙ってないので、たまには小さく打ち勝っておく必要があるだろう。
 
 
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ところでこれは先日焼いた巨大なフォカッチャ。鉄板サイズにズッキーニ、しらす、トマト、玉ねぎを乗せた。レシピ通りに準強力粉で作ったものの強力粉のフォカッチャのほうが好みだった。