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母と息子と性

息子はITリテラシーが高いので自分のPCもスマホも常時検索履歴を消去し私の奇襲に備えている。しかし履歴を消去していることを堂々と私に伝えるくらい、我が家では性についてすごくオープンである。

大喜利アプリ「ボケて」でたまにエッチな画像を見つけては、これやべえ!と私に見せてくる息子。アホ!と私。それを聞きつけた妹が、なになに?と興味を持ってやってくると、まだ見ちゃいけませんと制する。
「俺の部屋のエロ本見つけちゃった?」「どーせ全部ハードディスクの中だろ!」「俺は保存しないタイプ」みたいな会話を夕飯の食卓でする。

こうなったもの半分は自然な成り行き、半分は狙い通りといったところで、うちのように父親が父親として機能していない家庭で、母親が思春期の息子とどうコミュニケーションをとっていくかと考えたとき、当然生じる性の目覚めにについて、子供にとって気持ち悪くない感じで、寛容に理解を示す必要があると思ったのだ。
子供にとって気持ち悪くない感じ、というのが重要で、子供がちょっとでも性への関心がある素振りを見せたときに、そうねそうよね、あなたも年頃だしあなたの性への関心をお母さんは尊重するわよ、というようなねっとりしたスタンスだと恐らく子供は気持ち悪い。ええ、もうそんなことに興味持ってんの?10年早いわ!グリム童話でも読んどけ!とか言ってあえて否定するくらいが多分丁度いい。(子供の性格や親子関係にもよるけれども)

もしそれまでに親子で何でも言い合える関係が築けていれば、年齢とともに体に自然と生じる変化とか、新しい関心事についても、子供はきっと、親に伝えてみたくなると思うのだ。それまでも色々なことを親に共有してきたように。だけどなんとなく恥ずかしいしなんとなく気が引けるから、恐らく一度や二度、小さなネタを投下して、親がどんな反応を示すか探りを入れてくる。そのときに下手に動揺しないこと、或いは下手に動揺を隠そうとしないこと。気まずい空気を作らずに、適度な(過剰はNG)サービス精神をもって面白い話題に昇華してあげることが親として非常に重要だ。ここで痛い目を見てしまうと、多感な時期の子供は家の中で性の話題がタブーなのだと学んでしまう。ノリノリでもなく、粛々でもなく、やれやれ、くらいのフランクな温度感で話題に乗っかってあげるといい。

また、親子間で性を話題にする際には極めてオープンでありながらも、核心には触れないという大人の配慮も必要となる。家庭の中で、性が堂々と話題となり得る状況さえ構築しておけば、いざ必要になったときに避妊のこと、病気のことについてもスムーズに話すことができる。何をおいてもそれが一番大事なのであって、子供がどこまで何を知っていて何を体験しているのか、この全容を直接的にヒアリングして把握しようとすると途端に親子間のオープンなコミュニケーションは成立しなくなる。それは何も子供に限った問題でなくて親だってそうなのであって、性の話題についてオープンにしたいからといってお父さんとお母さんは何年何月何日にセックスしてあなたを作りましたとか伝えるのはどう考えても間違ってるし子供はそんなこと聞きたくない。私のはじめての人はネ♡とお母さんが切り出そうものなら子供は耳を塞いで逃げ出す。親子間で性の話題をする上では、親も子も当事者性を玉虫色に留めておくのが最低限のマナーだ。

そういうことを考えると、決して私の思惑だけで現状の私と息子の親子関係が成立しているというわけでなく、息子のほうもまた、親の私が言うのもなんだけど年齢の割にかなり器用だから成り立っているというのも事実だ。

ただしこれについては悩むところでもある。というのは、子供のときに不器用さを燻らせて燻らせて、大人の知恵をつけてからではとてもじゃないけど犯せない恥ずかしい失敗を重ねた人ほど面白い大人になっている。私の周りではどうもそういうきらいがあるのだ。男子は人に言えない鬱屈とした性を長期間もてあますことで豊かな想像力とクリエイティビティを育むのだ(主に自慰行為の方法などで)と、バーグハンバーグバーグ代表のシモダテツヤ君もかつて話していた。彼が言うのだから説得力がある。

だから現在の母親としての私の心がけが、果たして息子の将来にとって本当に良いことなのかどうなのかは分からない。教育なんてすべてそんなものなんだろうけれど。
つくづく、親の悩みは尽きないものだ。


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ところでこれは先日焼いた紫芋のうずまき食パン。捏ねはホームベーカリーを使用。ようやく春が来た。