人は簡単にはみ出す

ごく身近な人が、気付いたら社会の規格外になっちゃってたなんてごく当たり前にあることです。病気や、性格や、その他さまざまな外的要因などよって、人は簡単に社会の規格に収まりきれなくなってしまいます。多くの人は他人事だと思っているけれど、こっちとあっちを遮る壁なんてあってないようなものです。誰にだって起こりう得る。本人もどうしようもできずに苦しむし、それを見ている周囲もとても苦しい思いをする。身近な人だからこそ理解しなければと思うけれど、ひとたび規格からはみ出してしまった人の行動や思考を理解するというのはとても大変なことで、いずれ受け入れるか諦めるか、選択を迫られる。でもそこが終わりというわけではないんです。自分が相手をどう捉えるか、という課題をたとえクリアしたとしても、破天荒な人というのは無自覚に周囲に問い続けてくる。「あなたはなんでそれをやるの?」「なんでそれを守るの?」そうやって他人との繋がりを保つことが彼らの生命線だからです。日々粛々と生きていればそんな禅問答に付き合っていられないんだけど、でも、たまに痛いとこ付いてくるんでほんとに大変なんです。「受け入れることが愛なら、許しってなに?」と問う宇多田ヒカルの歌詞、痛々しくて辛かった。彼女には幸せに生きてほしいなあと思います。