わたしの食器は。

職場の隣の席の男性が日常的にドラマチックで、領収証を眺めながら「これは未来なのか?!」と呟いたり、「ちょっと待ってくれよ!。。絶望した」とすぐ絶望したり、イタリア語やフランス語でモニターに話しかけたりするのですが、それはそういうものなのだろうなあとありのままに理解していました。
しかし今日、その人が手元の携帯電話から流れる留守番電話の自動応答メッセージに向かって、はい、はい、なるほど。ああ、そうですか、はい、はい。と執拗、かつ丁寧に返事しているところを目撃してしまい、なんとも言えない気持ちになりました。おそらく対話というのは意思をもった他者の存在があって初めて成立するものではないかとおもいますが、きっとその人の生きる世界では、領収証もパソコンも携帯電話も、さながら「美女と野獣」の食器達のように、意思を持って、彼にしか聞こえない声で話しかけてくるのだろうとおもいます。素敵な世界だなぁ。

一方、社内のふたつ隣の席の人は、先ほどの人とは対象的に、いつも静かにお仕事に取り組む人です。しかし今日、なんとなく派手な動きを視界の片隅に感じ、おもむろに目を向けたところ、モバイルバッテリーを二つ使って「お手玉」をしていました。途中何回か首を傾げていたので、今ひとつ調子が出なかったのでしょう。


でも、大丈夫。諦めないで練習を続けたら、明日はきっと今日より上手くできるはず。


ふたつ隣の席〜朝、いつも通り出勤したところ「ポスト壇蜜」と書かれた堀江貴文さんのヌードグラビアページが何者かの善意によって置かれていたふたつ隣の席〜から、わたしは密かにそんなエールを彼に送りました。