ウォッカで大変なことになったけど器用貧乏で救われた話し。

昨夜はウクライナからのお客様と会食でした。飲みニュケーション、って全世界共通なんですね。お客様がまさかのウォッカをボトルで持参、ということで初ウォッカを2杯、一気にいって私は今日完全に死んでました。ひどかった。。
ですが会食自体は大変和やかにすすみほっとしました。

わたしは子供の頃、カトリックの中高一貫の学校に通っていて、そこで出会ったイギリス人シスターにとても可愛がってもらったことをきっかけに、英語を熱心に勉強しました。そのおかげで、今でも日常会話ならなんとなく喋れます。とは言えそれで通訳とか翻訳ができるようなレベルではないので、まさかビジネスシーンで私の英語力が活きるときがくるとは思いもよらず、なんでもかじっておいて無駄なことはないんだなぁ、今回つくづく思いました。

自分でいうのもなんですがわたしは昔から色んなことがだいたい平均点くらいには出来るんです。ただ、残念なことに、特にこれができる!といったものがなく、一方で周りには一つに特化して超能力があるタイプの人が多かったので、昔からかなり自覚的に器用貧乏でした。落ちこぼれてもいないので反骨精神もないし、今を楽しむ器用さはそこそこあるので、なんとなくこのまま器用に何事もなく生きていくんだろうなぁと思っていました。

ところがひょんなきっかけで今の社長に声をかけていただき、お掃除とか食器洗いとかをやると思って出社したところ上司から、広報をやらないか!とまさかの提案を受け、出来ないです!出来ないです!と、ときに泣きながら、大いなる不安の中で今のお仕事をさせていただくこととなったのですが、そして今もその不安は絶えず抱えていることには代わりなく、いつなんどき、チェンジ!が来てもいいようにと覚悟だけはしているんですが、そんな新米の私が語るのもおこがましいんですが、広報というお仕事には、思いのほか器用貧乏スキルが活きるな、と密かに思っています。

広報って、伝えるということが恐らく1番大きな使命だとおもうのですが、紆余曲折あって無駄に溜め込んだ半端なスキルあれこれが、伝えるための武器として思いがけず様々なシーンで活躍するのです。
子供の小学校の、羽根つき大会のポスター作りで覚えたpagesの使い方が書類作りで活きたり、バブルだった頃に頻繁にホームパーティーやってたことで身ににつけた、豪華に見せるお料理の盛り付け方が会社のパーティで活きたり。。w 
色々まさかまさかですが本当なんです。

昔、ある音楽プロデューサーの知り合いが言ってました。自分が16才のときに作った楽曲を、20年以上経ってテレビで歌手が歌ってる。過去にやったことは必ず未来の自分の糧になる、と。

そのとおりだなぁ、と思うと同時に、今もいずれは過去になるわけで、いずれは今より先の未来が来るわけで。

未来の自分に美味しい思いをさせてあげるために、今をさらに頑張らんといかんなぁ、とおもう次第です。