サンタの影に潜むAmazon
- 作者: アランスノウ,Alan Snow,三辺律子
- 出版社/メーカー: あすなろ書房
- 発売日: 2005/11
- メディア: 大型本
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「いや、もしかしたらサンタさんは2ちゃんねらーかもしれない。一斉に子供達ににプレゼントを配ろうとネット上で呼びかけて、賛同した親たちがノリノリになってる」
【これはまさにセックスレス解消焼肉】主婦は焼肉矢澤で禁断の一線を越えたのか。
店舗公式サイト:Yakiniku YAZAWA/
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子供のフリをしていた約2mの男との話。
思い起こせば1年ほど前に、ひょんなきっかけでカイくんという身長が2mくらいある男の子と知り合った。大学院を休学中というので何度か息子の家庭教師に来てもらい、お礼に夕飯をふるまったりしていた。当初あまりカイくんのことをよく知らなかったものの、聞けばお母さんが昨年亡くなり、ドイツ人のお父さんはもう長いことドイツに住んでいるらしい。現在は、作家だったというおじいちゃんが生前残した家に1人で住んでいるという。
あるときカイくんちで開かれたバーベキューにお呼ばれし、件のおじいちゃんの残した家にお邪魔したところ、「おじいちゃんが建てた」からはとても想像できない、ものすごくかっこいいモダン建築の豪邸だったので、思わず「おじいちゃん何者?」と尋ねた。そこでようやく、おじいちゃんが田中小実昌という著名な作家であったことが判明。しかし教養のない私はそのときまで田中小実昌という作家を全く知らなかったのだ。カイくんに本を何冊かもらったので後日なんともなしに読み始めたところ、痺れた。淡々と語られる戦争体験の中にも、よくぞこれほどと驚くほど沢山ある女性たちとの情事にも、また奥さんや家族とのエピソードの中にも、泥臭い愛と深い優しさが溢れている。全く飾り気がないのにすごくカッコよかった。こりゃモテるだろうなと思ったし、ありきたりではあるが、奥さんや娘さん(つまりカイくんのおばあちゃんとお母さん)はさぞ大変だったろうと思った。過去として語られる女性たちには一貫して紳士的なのに、奥さんのことだけは可愛げがないとかボロクソに書かれているところなんて、なんてずるいんだろうと!他人なのに憤りながら、まんまと一言一句、噛み締めるように読んだ。とてもよかった。
- 作者: 田中小実昌
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2004/07/02
- メディア: 文庫
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よかった、よかったとあちこちでうるさく言って回っていると、同じ様にファンと言い回った結果渋谷の酒場でお目にかかったAV監督で作家の二村ヒトシ先生も、実は大の田中小実昌ファンだったということが分かった。そこで改めて二村先生とカイくんちにお邪魔し、おじいちゃんの書斎を見せてもらうことになった。
おじいちゃんの書斎には哲学書からSF、エッチな雑誌まで、大量の本がずらりと並んでいた。もちろんご本人の書かれた本、訳された本も沢山並んでいて、私のような新参ファンが比較にならないほど熱心なファンである二村先生は「コミさんの本は全部読んだと思っていたのに持っていない本がある!」と興奮を隠しきれないご様子であった。
その日の夜、我々はカイくんとともにモダンなおうちを後にし、新宿の田中小実昌行きつけの小料理屋さんに連れて行ってもらい、田中小実昌の食べたオムレツを食べた。
おうちと、本と、著作と、行きつけのお店と。カイくんのおじいちゃんは人一倍たくさんの足跡を残したが、おまけに昨年亡くなったお母さんのりえさんも作家だったのだそうだ。
生前書かれたエッセイが「ちくわのいいわけ」というタイトルで最近書籍化され、なんとそのあとがきをカイくんが書いてるというので早速拝読した。
そしたらもう大変だった。
主にりえさんがドイツ人の旦那さんに出会ったり、別れたりしたことが、おしゃべりするように綴られている。話はあっちこっちに飛んで、戻って、いったりきたりしながら最初から最後まで途切れずに続く。そんな中で少しずつ描き出される夫婦の形が、あまりにも身に覚えのあるものだった。途中から私はすっかり自分が自分なのかりえさんなのかわからない気持ちで読み進めており、時折登場する子供の頃のカイくんは私の息子だった。いいわけ、と題されていながら大事な部分の理由は潔いまでに語られていないから、きっとなんでそうなるのか全然理解できないという人もいるだろうけれど、私にはとてもよくわかった。
終盤、夫婦の形を変えるような大きな出来事が起き、図らずもその瞬間に立ち会ってしまう幼少期のカイくん。恐ろしいことにあとがきで「あのとき僕は子供のフリをしていました」と白状してしまっている。子供が今まさに子供のフリしてるなってとき、親もまた薄々勘付いているのである。けれどもできれば気付かないフリで通したいところなので、この直球にはガツンとやられてしまった。
とは言え、このエッセイがこんな形に仕上がった背景には一貫して息子の存在があることは明白で、同時にカイくんもまたそんなお母さんの思いをしっかり受け止めている。田中小実昌という人は物事に意味を持たせるのを嫌う人だったと二村先生が仰っていた。だからこういうことを言うと叱られてしまいそうだけど、読後、私はとても救われたような気持ちになった。いい本だった。
【追記】
カイくんが登壇する「ちくわのいいわけ」発売記念イベントがB&Bで年明け、1/19に開催される模様。
枡野浩一×田中開×須川善行 「ちくわの思いで――田中りえさんをめぐって」『ちくわのいいわけ』(愛育社)刊行記念 | B&B
ところでこれは先日作った失敗パンのピザ生地で作った朝食のピザ。ちょっと生地が甘かったけど、食べ応えたっぷりに仕上がった。
プロ専業主婦にはなれなかったが気持ちいい
「仕事から帰っても妻からの注文が多くて気が休まらない」と、ある既婚男性の友人が言っていた。そうか。大変だなあ。一方また別のときに、別の友人は「妻が休日の早朝から家の中の掃除を始めるので無言の圧力を感じて気が休まらない」などと言う。
今週は今年一番の忙しさだったので文明のありがたみをひしひしと感じながら出先から遠隔操作で子供達に夕飯のピザ届けたり、息子の制服のシャツを早朝に緊急洗濯して布団乾燥機をハック(と言うとかっこいい)した乾燥機で緊急乾燥したり、母親として維持するべき最低限度の生活をトリッキーに死守した。
色々失敗もあったがこの一週間、なんとか無事にやり遂げたぞという達成感でいっぱいになって仕事先から帰宅し、ソファに沈んだ矢先「ママ、明日は弁当がいるから!」と息子が言う。
なに!!弁当!!ゆとり教育が終わり、公立校では休みのはずの土曜にも定期的に授業が行われるようになった。おまけに息子の学校ではその日をなぞの「食育の日」とし、お弁当持参が義務付けられているのである。お弁当を作るためには米を仕込み、冷凍庫の肉を解凍する必要がある。あいにく冷凍食品などの備蓄は切れている。
今のうちにひと頑張りしてコンビニに走れば一人暮らし用の真空パックのお惣菜を調達できるぞと異次元からもう一人の私が囁きかける。しかし今週はあまりに外食に頼りすぎた。「STAY」さらに別の時間軸からのメッセージを解読した私は翌朝の私に全てを託し寝た。
そして今朝。もうこれ以上はギリギリアウトという時間にベッドから這い出し、昨夜仕込み忘れた米を早炊きで炊き、肉を解凍し煮る、卵を焼くなどしてなんとか困難な局面乗り越えた。すると、そうこうしているうちに私のやる気スイッチがオンになり、シンクの中をピカピカに磨き上げたり、コンロ周りの油汚れに洗剤吹きかけたり、今年の汚れ今年のうちに、みたいになってきた。
超気持ちよかった。
「あれやらなきゃなーでもめんどくさいなー」「これできてないなーでもめんどくさいなー」と思いながら動かずにいる時間というのは楽しているようでいてその実、苦痛なのである。一方、めんどくさいことを実行している瞬間は労力を使っているのになぜだか超気持ちいい。キッチンを綺麗にしなければ、という義務感から今まさに解放されているし、油まみれだった目の前のものたちがみるみる光り輝き出している。超気持ちいい!と思いながらふと、休日の朝から張り切って掃除する妻にに重圧を感じる、冒頭の友人男性の嘆きが脳裏をよぎる。
もし私が夫とともに住んでいたら(※あいにく夫はどこに住んでいるかわからない)私はこんなにも全身で気持ちよくなかっただろうと思う。こう見えて他人に配慮するタイプの人間なので、あんな話を聞いてしまった今となっては、超気持ちいい!に向けられている気持ちの何割かは自分の行動が同居人にどう影響するか気になってもやもやしていたはずである。
話は飛躍するが私の周りには少なからず「プロ専業主婦」と呼ぶべき人達がいる。その人たちはいわば奥さんのプロである。プロ専業主婦の旦那さんは高給取り、本人は美人。いわるゆトロフィーワイフの話かと思われがちだが、プロ専業主婦の突出したスキルはただ見た目が美しいだけでなく、多くの妻たちが見誤る奥さんとしての頑張りどころをてきかくに心得ているという点にある。ぬかりなく家事することや良妻賢母であること、一般的には良しとされてることが本質的には求められないということを知り尽くしている。その上で、高給取りの旦那さんの本当に居心地の良い生活環境を実現し「色々あるけどこの妻のためにもっと金を稼ぎたいな」と思わせるのである。旦那さんは高給取りなんで今夜はリッツカールトン、明日はマンダリンオリエンタルみたいに、別に家に帰らなくとも寝床などいくらでも調達できるが、それでもきちんと家に帰ってくるように仕向ける。これがプロ専業主婦のなせる技なのだ。誤解を恐れずに言うと、だいたいそういう女性たちは過去に一定期間、水商売でのアルバイト経験がある。酒と女が金次第でいくらでも自由になる場で、男性の欲望を熟知しているのである。
専業主婦を売春婦と同じなどと言って揶揄する人もいるが、そもそもこの世の中、誰かの顔色をうかがったり、媚びたりせずに仕事してる人なんていない。中川淳一郎さんの本夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘 にも書かれているように、誰だって上司や取引先、お客さんに怒られないために仕事している。給料を少しでも上げてもらえるように、クビにされないように、自分の技術や労力を提供し、その対価としてお金を稼ぐのだ。それは蔑まれるべきものでなく、生きるための当たり前の営みである。そりゃ誰もが人としての尊厳を尊重され、意思をねじ曲げられることなく、嫌なこと何一つやらずに生活できればそれに越したことはないが世の中そういう風にはできていない。他者との関わりの中で、ときに地べたを這うようにもがきながら。上司はこの企画書好きだろうとか、お客さんはこっちが好きだろうとか自分のことは二の次に、綺麗に言えば誰かの顔を思い浮かべ、その人のために働くのである。同じように、妻が、夫の理想を実現するプロに徹して何が悪い。 ましてや夫が高給取り。あらゆる職業の第一線を走り、トップクラスの収入を得る人たちが皆、惜しみない努力を続け、強靭な精神力を養った超人であるのと同様に、プロ専業主婦達もまた(それと見せないようにしているだけで)超人なのである。だから私は彼女達を尊敬しているのである。
一方、私は、今でこそ仕事をしているが長い間専業主婦だったので、せっかくならと持ち前の向上心でプロ専業主婦への転身を目指し努力したこともあった。その中では、キッチンを常に隅々まで清潔に保つことと、完璧主義でない、頑張り過ぎない妻を演出すること、何がベストな選択なのかと思い悩むこともあった。
しかし今朝、お弁当を作り終えた8時半に、なぜかドッグフードと雑巾が床に散乱した悲惨なリビングはそのままに、油汚れでベタつく換気扇の羽に洗剤をスプレーしながら、やりたいことを、やりたいときに、やりたいようにやるこの「超気持ちいい」は、今の私にとって何物にも代え難い快感であるとはたと気づき、感動に打ち震えた。換気扇の羽を手に、超気持ちいい快感に打ち震える超気持ちいい快感にもまた打ち震えた。私はプロ専業主婦にはなれなかったけれど、今まさに超気持ちいい快感を味わっているし、自由であるし、最高だと思った。
2+2+2+2+2でも、5+5でも、2+8でも、1+9でも、答えは全て正しく10なのである。
夫は妻が他人に優しかろうが冷たかろうが割とどうでもいい
少女漫画って簡単に潤いを入手できて最高!大好き!だけどとても罪深い。
なにしろ男子は女子が辛い時に全然別の場所でそれを察知して、仕事放り出して飛んで来てくれるものと思わせる。雨に濡れてる捨て猫に人知れずそっと傘を差し、ミルクを飲ませてる女子のこと、タイミングよくどこかの物陰から見てくれてると思わせる。そういう女子の弱さや心根の優しさや責任感の強さを魅力として評価し、好きになってくれると思わせる。
しかし残念ながら事実はそうじゃない。守ってあげたくなるとか弱者にに優しいとか、女性のそういう側面はあってもいいけど基本はオプション。結局男性だって女性と同じように、自分を一番大事にしてくれる人、誰のことを差し置いても自分に一番優しくしてくれる人が好きなのだ。そういう前提があって初めて、少女漫画ごっこ、ヒーローごっこも演じてみようと思うもの。
だから、夫婦間に子供ができるとすれ違うのだ。
妻の方は、愛する人との間に生まれた子供を最優先に考えるのは当然だと思っている。自立していない、か弱い子供を細やかにケアするのは女性として、人としても、正しく美しい姿であって、夫もそう感じているに違いないと思う。ところがそうじゃないのだ。
先にも述べたとおり男性というのは、好きな女性に自分こそが最も優しくされたいと望んでおり、それが全ての根幹にある。だから土台がぐらついている状態で、好きな女性が、我が子を含むほかの誰に優しくしていようと、割と別に関係ないようなのだ。
少女漫画の中の男子は一方的に愛と優しさを注いでくれる枯れない泉みたいな存在だが、その実、生身の男性は女性と同じ空っぽのたらいのようなものだ。女性が望むのと同じか、もしかしたらそれ以上に、自分にこそ愛と優しさを延々と注いでほしい。
しかしどっちが甘えるか、どっちが甘やかすかの勝負になったとき、やっぱり自分の優位を保ちたいから、女性は男性の弱さを認めたくない。弱さなんてないものとして、なんとか自分で処理して、私の前では強くあってほしいと思う。
でも、残念ながらそれじゃだめなのだ。なんでかっていうと、世の中には男性の弱さを総受けするのを生業としているお姉さんたちがいるからである。美貌とお酒と話術で、あるいは体の力で、優しくされたいよね、そうだよね、って、多少のお金と引き換えに総受けする人たちがいるのである。
あるいは素人の可能性もある。世の中には無数の婚活女子がおり、結婚という実績のある男性の付け入る隙を虎視眈々と狙っているツワモノもいる。
妻が受け止めたくない夫の弱さを、よそで受け止めてくれる女性は、少なからずいるのである。
だから、いくら子育て中で大変でも、妻の方がなんとか「赤ちゃんも大事だけどアナタの方がもっと大事よ」というポーズを意識的に夫にとったほうがいい。もちろん程度の問題もあるのでほんとに赤ちゃんそっちのけで夫にかまけてはダメだけど、妻が思っているほど「俺より赤ちゃんを最優先にする優しい奥さん素敵だな」と夫は思わないというところを忘れてはいけない。
なんだか下手に出てるみたいでバカバカしいな、と思う人もいるかもしれない。けれども今の世の中で家族を維持するというのはかなり難易度の高いこと、綺麗事では済まされないことなのだ。子育てする上で大人の手が2人分あるというのは非常に心強く、維持できるのであればそれに越したことはない。日々の多少の努力でそれが実現できるのだとすれば、なんだ、安いものじゃないですか!
ところでこの本には恋愛に関する無数の「目からウロコ」がちりばめられているのだが、中でも特に感動したのは、なんで人の恋話がこんなにも面白くないかについて解説されている下記の部分。
人間ていうのはね、恋に落ちたら、その瞬間に、周囲からは切り離されるものなのね。
冷静になって考えてみればいい。明らさまにも恋をしている人間ていうのは、周囲から嫌われるんだから。…<中略>…「それは嫉妬かな?」っていう考えを捨ててみれば、絶対に、自分の中にあるほとんど“怒り”に近いような感情は発見できるはずだから。
恋に落ちたら、その瞬間、その人の周りは暗黒に包まれるー御当人達は光の中にいるんだからそんなこと気が付きゃしないんだけれども、それは、分かる人間には分かる。「あ、そうなの。あなたがこことは別の世界の人間と、そんなにも激しい恋に落ちなければいけない理由っていうのが、私のいるこの世界にはあるっていう訳?」
<中略>
恋を見せつけられる人間ていうのは、一方的に悪人の役割を押し付けられている人間ていうことになるのね。
結局、夫婦間に子供が生まれるというのは三角関係に陥るということなのだろう。恋人同士だった夫と妻、世界から切り離され、2人だけのユートピアに生きていたところに子供誕生。アレヨアレヨと言う間に今度は妻と子供が2人のユートピアを作ってしまい、夫は一方的に悪人を押し付けられたように感じて、くさると。
…家族ってほんとに難しい!
孤独な戦いに終止符が打たれたかのように思われた日
宅配野菜の段ボールが届いたら、開封して中の野菜を冷蔵庫に入れる。
これが「暮らす」ということだ。
けれどもここ最近寒いし、ちょっと忙しくて、真っ当な暮らしがままならない。今日も気付いたらソファで眠り込んでいて、そんなときに例によって宅配野菜が届いたので、受け取るだけ受け取って、開封せずにひとまずカウンターの上に段ボールを放置して、もう一度ソファで眠ってしまっていた。しばらくすると自分の部屋にいた息子がやってきて、「この野菜、冷蔵庫に入れなくていいの?」と声をかけてきた。寝ぼけながら何かしら(覚えていない)返事をしたところ、ぼんやりとした意識の中に、べりべりと段ボールの蓋を止めるテープをはがす音が聞こえてきた。わたしはそれを聞きながら、あぁ、嬉しいなあと、やはりぼんやりとした意識の中で、言いようのない幸福を感じていた。
もともとわたしは、食パンの袋を平気で開けっ放しにするような、暮らしの能力の低い子供であった。パン、ということで言えば最近なんかは粉からパンを焼くのであたかも暮らし上手のように思われがちだが、その実パンを焼くのは短距離走、暮らしを営むのは長距離走、種目がちがうのである(どや)。ある程度分別のつく年頃にもなって、テストで良い点がとれるようになっても、雨が降ったから洗濯物を取り込まなければ、食卓のマーガリンを冷蔵庫にしまわなければ、といった発想に、決していたらなかった。そういう分野で気を利かせるアンテナが欠落していた。それでよく、母や妹に怒られていた。
そんなわたしが大人になり(18のときなので正確にはまだ子供だったんだけど)、暮らしをともにするパートナーに選んだ相手が、不幸なことにわたしよりもさらに暮らす能力に乏しい人だった。
子供も生まれ、さすがにちゃんとしようと、わたしが持ち前の生真面目さで自分を律し、食後の食器がシンクに溜まらなくなり始めた一方で、パートナーは年々、暮らし力のなさに磨きをかけていった。次第に何日も同じ服を着るようになり、リビングでおしっこしたりもした。挙句、暮らしがどうこうというレベルを超越し、何度かの失踪を経て、住まいからもフェードアウトした。その結果、我が家の真っ当な暮らしのすべては、家の中でただ一人の大人であるわたしに委ねられたのである。
100均のプラスチックのカゴ(昔はこれが世の中で最もダサいと思っていた)で工夫をこらして整頓された家の中で、毎日清潔な服を着て、毎日手作りのご飯を食べる。子供の頃のわたしが当たり前に受け止めていた環境を、いざ同じように我が子に提供しようと思うと、わたしの気力、体力がいかにあまちゃんであったかということを嫌が応にも実感する毎日。ポーカーフェースでこなしていた実家の母は偉大だった。自分が母となり12年が経過した今、昔に比べるとさすがに少しは暮らす能力も向上したとはいえ、やっぱりいまだにヒーヒー言っている。
そんな中にあって、わたしは本当に嬉しかったのだ。息子が、段ボールの中の野菜を冷蔵庫にしまわなければいけないと、気付いてくれたことが。わたしが寝ぼけて適当な返事を返しても、自ら段ボールを開けて、冷蔵庫に野菜をしまってくれたことが。
何しろ暮らすということにおいて、わたしは何年も家の中で孤高の戦士であった。子供達の真っ当な暮らしの立役者となるべく、これからもずっと孤独に、一人で戦い続けなければならないと思っていた。だけどそうじゃなかった。守られ、育てられるだけの存在であった子供達は、いつの間にか、この家の中で暮らしをともにするパートナーへと育っていたのだ。
ソファの上で寝ぼけながらも、わたしはしばらくの間そんな調子で感慨に浸っていた。寝起きのテンションでちょっと泣きもした。
……で、ようやく起き上がって、開封された段ボールの中を覗き込み、絶句した。
驚くべきことに野菜は、綺麗にそのままの状態で段ボールの中におさまっている。
「……野菜、冷蔵庫に入ってないけど」
困惑するわたしに息子が言った。
「蓋、開けといたから。あとはママが冷蔵庫に入れといて〜」
なぜ蓋まで開けてやめるんだ!!!
未だ半人前の暮らしのパートナーをなる早で一人前に仕上げていく、新たなるミッションがスタートしたのであった。
出会うもの全てが砂の中のダイヤモンドに見える病
昨日は仕事で帰宅が遅くなってしまい、夕飯を買って帰ろうと最寄り駅の1つ手前で地下鉄を降りて、子供達の好きな美味しいハンバーガーを買った。で、ヘトヘトだったし、そんな遠くないしというので、ちょっとずるしてタクシーに乗った。
「匂いが籠っちゃうので窓開けますね」と言うと、「私ポテトの匂い好きですよ」と運転手さん。「でも次のお客さんのお腹が鳴りますよ」と言うと「じゃあお客さんを最後のお客さんにするから大丈夫です」と。
大変気のいい、恰幅もいい、薄毛のおじさんであった。おそらく50代前半。私を降ろしたら新宿のいきつけの中華屋に夕飯食べに行って、それから数時間仮眠をとって、夜にまたお客さんを乗せて、明け方まで勤務するそうだ。
「この仕事、オリンピックまでは続けようと思ってるんですよ。オリンピック終わったら退職して、新潟の地元に帰って、一人で焼き鳥屋でもやりますよ。うまい酒と、つまみも出す。自分で採ってきた山菜とかね。変な酔っぱらいが来ない様に、11時には店閉めちゃう。笑」
私、頭の中ではもうすっかり新潟の小さな焼き鳥屋の大将の女房であった。割烹着着て、運転手さんが採ってきた山菜炊いてた。「女将さん、大将とどうやって出会ったの」とカウンター越しにほろ酔いのお客。「東京でね、タクシーに乗ったんですよ…」菜箸で鍋の中の山菜つつきながら、はにかむ女将(私)。
……改めて振り返ってみると私の友人なんて全員が「友人の紹介」あるいは「仕事を通じて」という順当な手段で知り合った人たちでばかりなのある。順当な手段を経て、ものすごく会いたかった人に会えたという幸運には有り難いことに多く恵まれているけれども、一方で、ふと道ばたで肩がぶつかって「あ、ごめんなさい」「こちらこそごめんなさい」「……!」みたいな砂の中のダイヤモンドには32年間一度も出会ったことがなかった。なかったにも関わらず、いつだってこのように、袖振り合う全てのものがダイヤモンドである可能性を探ってしまうのである。
そんな調子で1日を過ごしているため、今日も順調にやるべき仕事が滞っています。
【お知らせ】年に2回くらいしか天ぷらを揚げない私ですが、天ぷらアドバイザーとして下記特集に協力しております。よっぴーさんとは色々なところで定期的にお会いしますが撮影に立ち会ったのは2度目(前回は札束風呂の撮影)。よっぴーさん、毎回体を張ることを厭わない、勇ましい男です。
【検証】これがグルメの新常識? 何でも「天ぷら」にしたら美味い説! - みんなのごはん
ところでこれは少し前に焼いたカンパーニュを真横にスライスして作ったピザトースト。カンパーニュをスライスするブームがきています。