親が子にあけるという心の穴はハンコ注射説

つい先日、私は都内某所にてビジネスランチに挑んでいた。

偉い人々に囲まれピリリとした緊張が走る中、ここはひとつ持ち前のコミュニケーション力を発揮し和やかな場を演出しなければならない……末端OLたる使命感に駆られ、懸命にビジネストークに挑んでいるそんな最中。私はつい弾みで、接待されるべき側のお一方を「チンピラ」呼ばわりしてしまったのである。ここだけ抽出しても全く意味がわからないと思うがとにかくそんな感じのことを言ってしまったのである。しかしそのチンピラ呼ばわりされた方とは既にFacebookなどで何度も気さくなやり取りをしていたし、このブログも読んでくださっている方なので、冗談として和やかに受け流してくださるだろうという確信があり、有り難いことに実際そうなった。

しかしそこで思いがけないことが起きた。その場にいた別の偉い方が「さすが家入さん!人の心に土足でドカドカ踏み入りますね!」と急に私のことを褒めてくださったのだ。……褒めてくださったのか?疑問も残るが少なくともこれは私の性格を知った上で受容してくださっているということなので大変感動したのと同時に、そんなに何度もお会いしていないこの方がどうしてこんなに的確に私のことをご存知なんだろうと困惑した。するとなんとそのお偉いさんも私のブログを読んでくださっていたことが判明。

赤面しながらしみじみと思った。ブログを書いていてよかったなあ、と。

何しろこんなに話が早いのだ。飲みニュケーションもタバコミュニケーションもすっ飛ばして、人様のフィールドに遠慮なくお邪魔したがりな私の一面が正確に伝えられるツールってブログ以外にちょっと思いつかない。

 

ありがたいことに最近こういうことが結構多い。私が先方のことをよく知る前から私のことを知ってくださっていて、早い段階で距離の近いコミュニケーションに移行させてもらえるようなこと。これまで全然親しく話したことのなかった人から急に連絡がきたと思ったら、聞いてもいないのに夫婦の事情を赤裸々に聞かせていただけるケースなども結構ある。(実名で書いている以上そのつもりですので、読んだらせひ読んだよと教えてください。その方がもっと話しが早いかと思いますので…)

 

常々、そりゃ大人だって色々あるよねって思う。悩みも個性も嗜好も性癖も。

なのに優れた社会人であるために社会に最適化された風を装わなきゃいけなくて、その上では深刻な悩みも特殊な個性もないように見せかけなきゃいけない。社会に最適化されたスマートな者同士のスマートな会話ってアンドロイドとアンドロイドの会話みたいで、人と人とが対峙しているのに一切体温を感じなくて、そういうところに長く身を置いていると私は窒息するかと思うし、スマートに社会に最適化された風を装っている人が実はこんなマニアックな一面を持っていたって知った途端に、その人と私との関係にやっと血が通ったな、酸素が供給され始めたなと嬉しく思う。

恐らくこれまで生きて来た環境にアンドロイド化を断念した、あるいは拒否した血なまぐさいのが多過ぎたのも災いしているんだろうと思う。私だって一時はそういった環境に辟易して、人と人がたとえアンドロイド化しようが一定の距離を保ちながら自立して生活を営む、極めて影の存在感が薄いまばゆい光の国に強い憧れを持っていたけれど、結局蓋をあけてみるとそこに私の居場所はなかったのであった。私なようなものはお呼びでなかった。うん、この話はまた別のときに書こう。

 

*   *  *

 

……ところで今日焼いたパンの紹介をする前に、7月にB&Bでお話させていただいたイベントのレポート、第2回、第3回がアップされました。 


結婚はスタートアップだけど、結婚生活はマネジメント 家入明子×福田フクスケ対談(第1回)|AM「アム」


自分の価値を確認するためのセックスはダサい! 家入明子×福田フクスケ対談(第2回)|AM「アム」


たくさんの糸で“ゆるくつながる”家族を目指そう 家入明子×福田フクスケ対談(最終回)|AM「アム」

 

で、この第3回の、特に以下の内容について少し補足をば。。

家入:たまに夫が家に帰ってくると、子供たちは「ミッキーマウスがやってきた!」みたいなテンションで無邪気に喜ぶんですよね。
日頃いないことに対する恨みを持っていないんです。
そのとき気付いたのは、子供に“心の穴”を空けるのは、“いないお父さん”じゃなくて、“そばにいるお母さん”なんだってこと。

福田:“心の穴”というのは、二村ヒトシさんの言葉で、“親から植え付けられる感情や思考のクセ”のことですね。
女性がだめんずにばかりハマったり、男性がヤリチンになったりするのは、この“心の穴”が原因だと提唱されています。

家入:“お父さんがいないこと”自体が子供に影響を与えるわけじゃないんですよ。
お父さんがいないことで、お母さんが恨んだり傷付いたりしている。
その感情が子供に連鎖して、初めて子供の“心の穴”になるんだなって。

頑張っているお母さんほどこの部分が重荷になってしまうかと思うのでどうしても補足しなければと思う。

そもそも心の穴って、穴っていうから悪しきもののように思ってしまうけれど、実ははんこ注射の跡みたいなもんじゃないかと最近思う。副作用に苛まれる可能性もあれど、うまくいけば予防接種。悪い病気から強力に子供を守ってくれるもの。だからこそ近くにいて日常的に接している大人しか子に与えられないんだろうなと思うのだ。だから自分が子にあけた穴の形が見えたとしても決して罪悪感を感じる必要はなくて、それとどう生きていくのか、どうワクチンとしての効力を発揮させればいいのかっていう方法を示唆してあげられるのでむしろラッキー。うちの場合その方法が記事中にあるようなことだった、という次第です。

 

ひどく負担のかかる環境にいると、ともすれば子供の負担に配慮する余裕がない!なんてときだってままある。でも自分の色々を振り返ってみると、大変な時期こそ、自分が救われることを優先するより、身近な誰かを救うことを優先したほうが、結果的に自分が救われる近道となったことが多かったようにも思う。未熟者の戯言かな。

 

いずれにしても心の穴について書いてある二村ヒトシ先生の以下の本、一見恋愛指南本ですが極めて本質的なことに言及されている、男も女も父親も母親も一度は読むべき名著ですのでぜひ読んでください。

 

そして重ね重ね告知で恐縮ですが、今月配布されているスタジオジブリの小冊子『熱風』に私のコラムを載せていただいてます。ありがとうございます。。

 

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ところで、これは先日焼いたくるみパン。

きび砂糖をつかっているので優しい甘さだが子供たちはくるみが嫌いです。

 

 

今回とても長くなってしまいました。

 

 

底抜けに明るい主婦は宝、家の中の縄文杉。

屋久島の話が続く前に一呼吸。。


先日久々にママ友達に会ったのだが、底抜けの明るさ、強さ、つくづく最高だなと再確認した。

有り難いことに仕事でもたくさんの魅力的な人と出会うけれど、子供を介して繋がったママ友、主婦友達には、仕事で出会う人たちとはまた異質な魅力がある。それもしかして凄く深刻なんじゃ、ってこともハハハって冗談みたいに笑い飛ばす強さと、それ別にどっちでもいいのではwってことを決して見過ごさずとことん議論する繊細さとを持ち合わせている主婦達。

世の旦那さんというのは、結婚して時が経つにつれ、最初はしおらしかった妻がだんだんとタフになる現象について「おばさん化」などと嘆きがちだが、実際ちょっとやそっとじゃ動じない、さながら縄文杉の様に安定感のある存在が家の中にいてくれるって素晴らしいことだ。そのことを決して忘れていけない。たとえばふと日常にないものに惹かれて、場末のスナックのどこか影のあるバツイチママに淡い恋心を抱いたとしても、アバンチュールは妄想の中でだけにとどめておくべきである。ヒーローのように彼女の闇を引き受けたい想いに駆られても、後ろ髪を引かれつつ家に帰って、そこで相も変わらず繰り広げられるロマンスのかけらもないギャグ漫画みたいな日常を享受できるありがたみを噛み締めるべきである。放っておけば深刻な不幸に育ちかねない邪悪な芽を、しおらしさを失った代わりにタフになった妻が今日もハハハって笑い飛ばしながら次々と摘み取ってくれているのだ。ほら、こんなにも愛おしい!

 

……で、そんな眩しい主婦達をさらに輝かせるための本をお友達でライターの梅津さんが出版されたのでここでご紹介したい。

ミセス・シンデレラ 夢を叶える発信力の磨き方

ミセス・シンデレラ 夢を叶える発信力の磨き方

 

 こちら。ブログやSNSを使ってオリジナルレシピやペットの写真などを発信している主婦達が、よりステップアップするためのノウハウが沢山詰まった一冊だ。著者・梅津さんはネットでスター犬や看板猫を発掘するスカウト活動をされると同時に、ご自身もネット経由で仕事の依頼を請ける立場にいらっしゃるので、メディアの人が声をかけたくなるプロフィールの書き方とか、料理の写真の撮り方とか、紹介されているテクニックはすべてリアルな経験に基づいている。

主婦のタフで明るいエネルギーがもっともっと社会に充満すべきだと思うので、主婦ブロガーの皆さんはぜひともこの本を参考に、シンデレラになってください。

 

加えて、もう一点お知らせがあります。

先日のB&Bでのトークイベントの模様、第一弾がAMに掲載されました。

結婚はスタートアップだけど、結婚生活はマネジメント 家入明子×福田フクスケ対談(第1回)|AM「アム」

喋りが本当に苦手なために実りあることがまるでお話できませんでしたが、そんな中でも福田君がうまくまとめてくれ、さらにAMさんが掲載してくれましたのでよろしければご覧ください。

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ところでこれは今日焼いたフォカッチャ。屋久島で見かけたカニを思い出してつい取り出したナプキン。※描かれているのはザリガニ。

山と海と星と動物。屋久島で自然にひれ伏した記録その1〜屋久島の宿編〜

つい先日、屋久島に行って来たのだ。
 
山、海、星、動物。物凄い体験をしたと思う。日本にこんなところがあったのかと思った。東京に戻ってきてからまだ日も浅く、全ての体験をきちんと総括できていないけれども、やはりこれを書かずして次に進めないなと思うので、ちょっとずつ整理しながら書いていこうと思う。セックスの話もおっぱいの話もでてきませんがお時間のある方はお付き合いください。

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※写真左下にいるのが人間です

 
手始めに今回は、屋久島の体験の中でも一番整理しやすいところ、最も人間の営みに近いところの、屋久島の宿について書きたい。
 
今回の旅、合計四泊して、前半二泊は屋久島グリーンホテルという屋久島空港から車で15分程のホテルに、後半二泊は送陽邸という、最近テレビで取り上げられたりして話題の、永田いなか浜に面する旅館に泊まった。
 
屋久島グリーンホテルで過ごした2日間、午後になると決まって停電した。島の電力は全て地元の電力会社が水力発電でまかなっているそうで、台風や大雨ではよく停電するらしい。しかし私たちが訪れたときには終始晴れ続きで、原因不明の停電ということだった。停電するとお湯も出ないのでお風呂にも入れず、白谷雲水峡で登山した帰りの、汗と泥まみれの状態でクーラーのない部屋に待機しているのはなかなか過酷だった。しかしホテルの人だって困ってるし、屋久島ではなんとなく不便さに反抗してはいけないような気になるので黙って耐えた。停電以外では特に不便なこともなく、従業員の人たちも親切な快適なホテルだった。車で10分くらいのところに、春日浜海水浴場という、波も穏やかで美しい魚が当たり前に泳いでいる海水浴場があるので連日通った。食事は、特に二日目に食べた鯖すき(トビウオの出汁で鯖の切り身を湯通しして食べる鍋料理)がとても美味しかった。
 
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 客室から見えた美しい朝焼け。
 
……で、旅の後半に泊まった送陽邸。ここはもう評判通り、これまで体験したことのないすごい宿だった。寺のような建物が崖の斜面に何棟か建っていて、それぞれ中は数部屋が連なる客室になっている。
 
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客室は襖でしきられている程度なので、廊下や隣の部屋で人がしゃべる音は筒抜け。(ただし部屋にはテレビも電話もないので隣の部屋の音は実際全然気にならない)布団も自分で敷く。客室にトイレはあるものの内風呂はなく、棟内でひとつを共有する。で、この棟にひとつの浴室の一面が、なんとむき出しの岩肌。ところどころ雑草も生えていた。すごい造りだなあと思っていたらもともとこの宿、林だった一体を切り開き、オーナーらが自分達の手で建てちゃったんだそう。サラリーマンからの転向、大工のプロでもなんでもないから建てた後に色々と法的な問題が出てきて調整も大変だったそうだ。それにしてもすごいセンス。要素だけ拾えば下宿みたいなものなのに、不思議と全くわびしい気持ちにならない絶妙なバランスなのだ。屋久島にはやっぱり島全体に厳かな雰囲気が漂ってて、どんなに海がエメラルドグリーンでも、森が青々としていても、大自然〜キャピ☆って気持ちにはならない敷居の高さがある(これについては後々具体的に書こうと思う)。だからこそここでは華美なリゾート、贅を尽くしたホスピタリティってしっくりこないしわざわざやってくる旅人もそんなの求めてない。……でも、やっぱり宿では最低限ほっとしたいし、くつろぎたい。そういう意味で送陽邸の形って、おそらく屋久島の宿としての最適解なのだろうと思ったのだった。
 
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隣の部屋の人とこんにちはできるバルコニー
 
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ウミガメが産卵しに来ることで有名な永田いなか浜を一望できる食堂
 
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屋久島最後の夜、海に沈む夕日を眺めながら食堂で食事をしていると、地元の焼酎とグラスを抱えたおじさんがおもむろにやってきた。「宿のおやじです」とおじさん。そう、このおじさんが、元は林だったこの土地に自らトンカチを持って宿を建てたオーナーだったのだ。一杯どうですか、といわれて私も焼酎のお湯割りをいただき、乾杯した。おやじさんは宿の歴史やポリシーを色々と話してくれた。
 
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娘撮影につきぶれていますが、おやじさんと私
 
おやじさんいわく、送陽邸では、料理にしても、内装にしても、とにかく飽きないものを作りたいのだそうだ。そうして、里帰りするみたいに、一度来たお客さんに「ただいま」と何度も帰ってきて欲しいのだと。
大人一人、一泊一万円という値段について、正直安過ぎるんじゃないですか?と尋ねたところ、まあいいじゃないですか、と笑いながら答えるおやじさん。なんという懐の広さ。翌朝このことをおかみさん、つまりおやじさんの奥さんに伝えたところ困ったように笑っていて、いい夫婦だなあと思った。
また屋久島を訪れるときがきたら、私も必ずや「ただいま」って言いながらここに帰ってきたい。
 
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屋久島で自然にひれ伏した記録、次回に続く。
 
 
 
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……ところでこれは屋久島から戻ってきて焼いた食パンで作ったフレンチトースト。仕事を再会して以来、以前のような頻度でパンを焼けなくなってしまっていたけれど、文末に突如登場するパンについて有名ブロガーnarumiさんがお墨付き与えてくださったのでこれからもやっぱりパンを焼いていこうという気持ちを新たにした。
 
 
 

肩身の狭い思いを強いてはいけない

先日バスに乗っていたときのこと。ある停留所で停まったバスが一向に動かないので何事かと思ったら、杖を持ったおじいちゃんがバス入り口の段差で難儀し固まってしまっていた。奥さんとおぼしきおばあちゃんは先にバスに乗り込んでいて「ほら、あんた迷惑かけてるんだから急ぎなさいよ、歩けるでしょ」と声をかけている。おばあちゃんも足が悪い様で、同じく杖を持っている。おじいちゃんは運転手さんの手を借りながらなんとかゆっくりバスに乗り込み、座席に腰掛けた。そうしてやっとバスが発進したものの、老夫婦の行き先はその次のバス停だったので、次のバス停で二人が降りるときにも同じ様におばあちゃんが先に降り、おじいちゃんはおばあちゃんにはっぱをかけられながらゆっくりとバスを降りていった。やっとおじいちゃんが段差を降りることができたときに、ひゅっと突風が吹いておばあちゃんのかぶっていたカツラが飛ばされた。右手でおじいちゃんを支えながら、おばあちゃんは左手でカツラを追いかけた。そうこうしている内にバスが発進。

 

そんな二人と別の日、再び同じバスで再会した。

一度目と同じ停留所で動かなくなったバス。「バスの前に出ると危ないですよ」と運転手さんが声をかける。どうやらおばあちゃんがバスの前に出て、発車を待ってもらいながら、停留所の反対側、道を渡る途中で心が折れて動かなくなってしまったおじいちゃんに「早く来なさいよ」とはっぱをかけていたのだ。次第に状況を理解した運転手さんはバスを降りて反対車線まで歩き、おじいちゃんを抱きかかえて道を渡らせた。先にバスに乗り込んでなす術無くその様子を見ていたおばあちゃんは、申し訳ない、申し訳ないと呟きながら涙を拭っていた。そうやっておじいちゃんがようやくバスに乗り込むことができると、おばあちゃんは「みなさんお待たせしてしまってすみませんね」とやはり涙を拭いながら言った。

おじいちゃんは恐らく歩くことも段差を登ることも、ゆっくりであれば出来るのだ。ただ、何分しんどいので途中で心が折れてしまう。しかしだからといって歩かなくて良いことにしてしまうと筋力がぐんぐん衰え歩けなくなってしまうので、おばあちゃんのように、周囲はなんとか歩かせ続けなければならない。

おじいちゃんとおばあちゃんはこのときもやはり次の停留所でゆっくり時間をかけて降りていった。運転手さんは二人に「一駅分でも歩くの大変ですからね、遠慮なくバスを使ってくださいね」と声をかけた。

迷惑をかけている、申し訳ないという気持ちを少しでも二人に抱かせないために、同じバスに乗っているお客として私は何かアクションを起こさなければと強い気持ちにかられたけれど、そのときおばあちゃんに声を掛けようものなら、一方的に感情を高ぶらせ涙が出てしまいそうで結局何もできなかったので、運転手さんのかけてくれた一言に、私も救われたような気持ちになった。

 

子供達がまだ小さかったとき、私もおなじように肩身の狭い思いをした。

まだ上手く歩けないけれどとにかく歩きたがる子供が、ゆっくりとバスのステップを上る。その間ほかのお客さんを足止めしてしまうので、今思えばわずかな時間だけれど、すみません、すみませんと平謝りした。飛行機の中でどうあやしても泣き止まないときにも、ベビーカーで電車に乗るときにも。片手で上の子の手をつなぎ、もう片方の手で下の子を乗せたベビーカーを押しながら、突風でスカートがめくれてパンツ丸見えになって、ああ腕が3本あればスカートが抑えられるのにと思いながらパンツを見せて歩いたこともあった。そのときも何も悪いことしていないのにすみません、すみません、という気持ちだった。

とにかく毎日必死だった。世の中敵だらけに見えたし、だからこそふと「可愛いわねえ」なんて子供に話しかけてくれる人、笑いかけてくれる人がいるとそれだけで涙が出るほど嬉しかったものだ。それでも今思えば、子供達が育つまでの一時的なものだという気持ちがあったからこそ、なんとか乗り切ることが出来た。

バスの中で泣いていたおばあちゃんと、かつての私と、決定的に違うのはそこだ。

あのおばあちゃん、おじいちゃんは、今をしのげばそのうち状況が変わるという希望がない中で、それでも他者の理解と協力が不可欠な生活を送るよりほかないのだ。

少なくとも、バスの乗客は誰もおじいちゃん、おばあちゃんに批判的なことを言わなかったし、そんな視線も向けなかった。でも、それってもしかしておばあちゃんが泣きながら謝っていたからでは。。?考えなきゃいけない。他人同士が当たり前のように迷惑をかけ合いながら、助け合っていきるにはどうしたらいいのか。


別の日に、バスの中で見かけたとあるお母さんは、赤ちゃんをおんぶ紐で背負い、膝に上の子を抱えて、狭い1席に3人で座っていた。遠慮しているのか、それとも上の子が望んだからそうしているのか分からなかったので何も言えなかったけれど、もし遠慮していたのだとしたらと考えると、2席も3席も使っていいんだよって言ってあげればよかったと思う。

たとえば公共の場で小さい子を持つ親が「まとも」「常識的」と周囲を安心させるためには“私は子供を連れてます、だからもしかしたらあなたに迷惑をかけるかもしれませんがそれは不本意だし、迷惑をかけないように全力で努力してます”という無言のアピールを、特に迷惑かける前から態度で示している必要がある。そうでなければ横柄で非常識な親という目で見られかねないからだ。

健康で、誰の手を借りる必要もない大人とバスに乗り合わせても、この人は謙虚、この人は横柄だと判断したりしないのに、こと特別に周囲の助けや理解を必要とする人に対して、それに値するかを探るように、謙虚か横柄かと無意識に判断する。まずはそういうケチな考え方をやめよう。私たちが頭では正しいと考える社会の空気を作るために、他者により寛大になるのと同時に、自分の中の排他的な無意識に自覚的になる必要がある。

立場の弱い人を排斥するのはもってのほかだが、立場の弱い人が申し訳なさそうにしていれば受け入れられる、そんな状況に甘んじているのもだめだ。

何しろ今、仮に子供との暮らしが他人事の人だって、生きていればいずれは老いるのだ。自分がいつ車椅子生活になるとも限らない。決して永遠に健康で、誰の手を借りずとも1人で強く生きていけるなんてことはないのだ。

足の悪いおじいちゃんおばあちゃんが、あるいは小さい子を連れた親子が、バスに乗る。こんな当たり前のことに肩身の狭い思いをしなくていいような空気を作って行かなきゃいけないし、ゆくゆくは当事者になる者として誰もが考えていかなきゃいけない。


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 ところでこれは先日焼いたシナモンロール。。どうしてこうなった、と言いたくなる仕上がりだが最近少しブランクがありまして。。

 

 

 

広告やメディアでは最早人は動かないそうです

「仕事ってさ、そりゃめんどくさいこともあるよ。でもね、楽しいって気持ちに転換できないとダメなのよ。ママはあなた達がそうやって楽しい気持ちで仕事をやってくれるように訓練したいの。だからめんどくさいだろうけどシンクの中の食器を楽しい気持ちで洗っておいて」と子供達に言ったところ娘の方から「私は別に嫌なことを楽しいことにしようと思わない。嫌なことは嫌だなと思いながらやればいいだけだし。楽しいと無理矢理思おうとすることには意味がないと思う」と言われたので「お、おう……」という気持ちになりました。

 

これまで散々実名でセックスセックス言って、Google Adsenseも貼れないブログを運営してきましたが何と最近また仕事が決まりました。こんな僕でも仕事が(略)

で、新しいお仕事はPRでして、この本は参考になるよ、とその筋からのお達しを受けて拝読しました、こちら。

 

 

PRの仕事って関係者でなければいまいちピンと来ないと思うんですが、正しい情報を世に出して商品の販売促進、認知向上に繋げる仕事です。沢山の人に買ってもらったり、知ってもらったりする必要があります。で、その目的において、これまではテレビや雑誌などとにかく沢山の媒体に取り上げてもらって多く人目につく機会をつくりさえすればいいと思われていたけれど、これからはそれじゃ上手くいきません、と著者のお二人は仰っています。重要なのは、どのくらいの人数の、どんな人たちに知ってほしいのかをPR担当者が具体的に意識し、その人たちを動かすために最適な方法を考えることだそうです。テレビなのか雑誌なのかネットなのかといった伝達する媒体を選ぶだけではだめ、むしろそれらは単に「技」に過ぎず、ここに「心」(人の気持ち、感情)と「体」(体験、体感)を適切に組み合わせて道筋を立てる。「心・技・体」を使って人を動かす必要があるそうです。

例えばネットで盛り上がっている話題があって、乗らなければ、このビッグウェーブに、という気持ちにさせられて何かを買ったりとかした経験があれば、それは技を使って心を動かされた結果ということです。またアナ雪ブームなんかは、「Let it go」を歌うという体験が生み出したものと本書で分析されています。つまり「広告やメディアで人を動かそうとするのはもう諦めなさい」という本書のタイトルは、技だけではダメですよ、ということらしいのです。

PRという仕事に全然縁がない人であれば、そんなの当然でしょって感じもしますよね。この本を読んでもう1つ面白かったのは、消費者の視点では点と点だった情報が、実はある商品のPRを目的に、誰かの意図によって見えない線で繋がれていた、なんてことが実は世の中に往々にしてあるという事実です。風が吹けば桶屋が儲かると言いますが、PRはときに桶屋を設けさせるために風をも吹かせるのです。(ガセネタを流すということではないですよ。風が吹くための正しい情報を見つけてくるということです。)消費者は「風が吹いたなあ」と「桶買おう」をまさか誰かが意図的に関連づけているとは思いもしません。

私たちが完全に自分の意志で制御していると思っている行動や感情も、実は誰かの意図によって巧妙に誘導されている可能性があります。社会のカラクリの一端を覗き見ることができるので、PRという仕事に直接は関係ない人もぜひこの本を読んでみてください。面白かったです。 

 

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ところでこれはちょっと前に焼いたベーグルで作ったサンドイッチです。

最近忙しいので全然焼けていませんが。

あなたがパートナーに求めているそれは本当にコミュニケーションとしてのセックスと言えるのか問題

参考記事

夫婦の皆さん、なるべくセックスはした方がいいと思います。 - 手の中で膨らむ

セックスと宇宙とスペースシャトル - 手の中で膨らむ

 

 

月1回程度、あるいはそれ以上コンスタントにセックスする夫婦と、1年に1回する(かしないか)という程度の夫婦ではセックスの意味合いが全然違う。実行にいたるまでの準備、肉体的な負担、終わった後の脱力感。コンスタントにやっていれば定例ミーティングくらいの規模感だが、そうでない夫婦にとってのたまのセックスというのは、例えば福岡市民にとっての山笠にも匹敵する一大行事である。

一大行事化すればするほど執り行うまでの精神的なハードルはどんどん上がる。かといって、最も情熱的なあの頃のように黙ってても事が始まるような時期はとうに過ぎている、私たち場合一体どうすればいいんでしょう。というところまでが前回のあらすじである。

 

早速話を進めたい。

個人的なリサーチによると、結婚してから5年以上経って、子供をもうけても尚セックスがコンスタントにある夫婦というのは、いたって基本的なことではあれど、まずは子供を早く寝かせる、あるいはたまに実家に預けるなどして、夫婦の時間を意識的に設けている。その上で、膝枕したりされたり、お互いが無防備になるような接触の機会を作っている様である。

 

彼らに話を聞いていて特に興味深いと感じたのは、「夫がケーキを買って帰ってきたら今夜やろうの合図」「夫婦2人だけになった際に、どちらかがアイスクリームを出してきたら始まりの合図」という具合に、レッツスタート!を間接的に示す暗黙のルールが出来上がっている場合が少なくないという点である。YES/NO枕方式と酷似しているが、その実YES/NO枕ほどそれぞれの意志が強く主張されないところが結構大きなポイントだ。そりゃケーキを買ってきた夫とか、アイスを持ってきたどちらか一方とか、厳密に言えば誰かの意志が必ず反映されている。でも厳密に言わなければ、ぼんやりとした共通認識が生まれるきっかけに過ぎず、彼らのセックスは基本的に、どちらからともなく始まっている、という体をなしているのである。

 

* * *

 

セックスレスについて取り上げた一番最初の記事「夫婦の皆さん、なるべくセックスはした方がいいと思います。 - 手の中で膨らむ」の中で、「女性はツンデレだからセックスに誘いたくてもなかなか誘えない」というようなことを書いた。これについて補足すると、多くの女性はそもそも夫にセックスを求められることを求めているので自分から誘おうとしないのだ。夫にセックスを求められることで、自分の女としての価値が損なわれていないことを確認し、安心したいと思っているのである。

 

もちろん、男性だって同じように求められたいようである。いつまでもモテたいと願う気持ちの裏にはいつまでも自分が気持ち悪い奴かもしれないという大いなる不安が巣食っている、二村ヒトシ先生の著書「すべてはモテるためである」を通じてそんなことを学んだ。だから男性だって求められて安心したい気持ちは根本的には女性と同じようにあるのだろう。

 

ただ一方で、果たしてその大いなる不安が、奥さんから貪欲にセックスに誘われることでクリアになるのかという点について、私は疑問を持っているのである。妻ではない女性に認められることでしか慰められない部分もあるんじゃないのかと。

 

その点、妻達の多くはかなり切実に「夫に」求められたいと願っている。少なくともそんな風に私には見受けられる。そもそもよそで確認済であればわざわざ夫相手に確認したいと思わないのだ。デレたいけれどもツンツンしてしまう妻の気持ちの裏には、他でもない夫に求められたいという切なる願いがあるのだという点をぜひ、世の旦那さん達には寛大に理解してあげてほしい。夫にさえ求められれば自分を安心させることができる。だからこそ、夫がセックスして「くれない」、自分が求められていないと、妻達は受身で傷つくのである。

 

そうは言っても、一度口説き落とした女性を、落とす前と変わらず情熱的に、永続的に死ぬまで求め続けろと男性に要求するのも、なんかちょっと酷だなとも思う。

 

そこで私は考えた。ひとつの試みとして、まず手始めに妻の側が、女として求められたい欲求を相手に満たしてほしいと願うこと自体、やめてみたらどうだろう。

場合によっては同じことが男性にも言えるかもしれない。自分のセックスにおけるスタンスを一旦冷静に見直してみて、妻に受け入れられることの先に少しでも自尊心を満たしたい欲求が潜んでいるようであれば、そう望むのをやめてみたらどうだろう。

 

これは別にその矛先を家庭の外に向けようと提案しているわけではなくて、ことセックスする上で無意識に発揮される自分のエゴイスティックな部分、その中の一種類を少しばかり律してみてはどうだろうということなのだ。そんなこと出来るのかと思うかもしれないがまずは自分の無意識に自覚的になるよう努めるだけなので他人を動かすよりはるかに容易いことだと私は思う。

そもそも考えてみてほしい。求められたい、だから求めて!と要求して求められたってなんかちょっと虚しいじゃないか。だいたい自尊心を満たすために相手を巻き込んで執り行うセックス、それをコミュニケーションと銘打つこと自体正しいことだと言えるのだろうか?

 

たとえばどちらかが強引に求め、どちらかが求められるままに応じる、どちらかが精神的な優位に立ち、どちらかが奉仕する、どちらかが攻撃し、どちらかが攻撃される、そういう、アンバランスで非常識な関係、程度はあれど基本的にはセックスの最中にしか成立しない非日常的な関係が、抵抗なく性的興奮の材料となり得たのは、お互いがまだ出会って間もなかった頃の話ではなかったか。未開拓な余白が想像力をかきたて、その場の演出を都合良く理解させていたからだと言えないだろうか。

 

しかしかつて恋人同士だった2人は今や夫婦となり、家族となり、生活を共にしている。お互いの細部にいたるまで知り尽くしてしまったのである。2人の関係性がこうも変化してしまった以上、そんな2人の間に発生するセックスのあり方もまた、柔軟に変化させていく必要があるのではないか?変わりきった2人の間に、いつまでも恋人同士だった頃と同じセックスを求め続けるからこそ継続が困難なのだ。長い間夫婦としてやってきた2人の間でコミュニケーションとして成立するセックスとは、おそらく求められる側、求める側の境界が限りなく曖昧なもの。少なくともお互い自分の中でだけ、その立ち位置を都合よく解釈することが可能なもの。もしくは突き詰めて、お互いに自分ばかりが与えられることを望まないもの、なのではないだろうか。

 

* * *

 

少し前のことだが、ある友人夫婦が夫婦間でお互いの歯を磨き合っていると聞いて私は驚愕した。正直、いい大人なのにどうして自分で歯を磨かないのかと唖然とした。けれども今となっては…そう、自分の境遇を棚に上げ過去2回にわたりセックスレスについて取り上げた今となっては、歯磨きやマッサージや耳かきや爪切り、そんな、赤ちゃんが必要とするようなお世話を、手取り足取り夫婦間で施し合う、実はそういうところにこそ、夫婦のセックスレス問題解消の鍵となる要素が隠されているのでは、とにらんでいる。

 

先に述べたように、相手が自分を求めることを確認したいとか、あるいは逆に相手が自分の求めに応じることを確認したいとか、そういうのって結局のところ、ただ相手を使って自分の欲求を満たすことを目的としたケチなセックスである。そんなケチなセックスが実現しないことを悶々と思い悩むくらいなら、もういっそ大切なパートナーを、セックスに限らない自分の行いによって幸せにする、そのことだけに注力してみたらどうだろう。愛おしさのあまりついつい放っておけないという気持ちを自らの中により強く呼び起こし、2人の時間に赤ちゃんのようなお世話をし合ってみるのだ。(※愛おしい気持ちが全く湧いてこないというのであればそれはまたセックスレスとは別次元の問題であってまずはお気持ちお察しします)

別にいい大人がパートナーの前でだけ赤ちゃんになったって何の問題もない。小っ恥ずかしい気持ちを捨て去ってニャンニャンばぶばぶ言い合ったらいいじゃないか。いや愛おしい気持ちはあるんだけどさすがにいきなりばぶばぶ言い合うのは難しい、膝枕したりマッサージしたり歯磨きしたりなんて難しいというのであれば、アイスクリームが出て来た日に限って「なぜか」必ずセクシーバブバブハプニングが起きるという自然な現象を立て続けに引き起こし、いわゆる導線を確保してみてはどうか。そこから段階的に接触時間を増やしていって、より長い間、自分の行動によって相手の幸せな状態を維持しようと試みる。で、結果としてその先におまけのように自然な形でセックスがついてきたら、この試みは大成功である。

 

セックスレス問題に果敢に切り込み、満を持して提案した渾身の一手がまさかの赤ちゃんプレイ。ついに本格的な程度の低さを露呈してしまったようで恐縮だが少なくとも私は本気である。せっかくなのでぜひどなたか実験してみてください。で、3ヶ月後くらいにあらためて結果の方ご報告いただけると大変ありがたいです。

 

 

……さてここまで書いてきて、もしかすると一部の人はこんな思いを抱いているかもしれない。「いくらなんでも自分のことを棚に上げ過ぎなんじゃないか」と。

 

このたびついにそんなみなさんの疑念、くすぶりがひとつになって、7/16(水)下北沢の本屋さんB&Bにて、ライターで友人の福田フクスケ君とともにトークイベントに登壇させていただくことが決定しました。

 

家入明子×福田フクスケ「日本一炎上しがちな夫を持つ妻と、独身アラサー男子の、AM公開相談室 」 | B&B

 

丁寧かつ赤裸裸に作られている女性のためのネットメディアAMさん企画のイベントで、私の個人的なことについてお話させていただくほか、お客さんからいただいたお悩み相談の時間も設けられる予定だ。ということはつまり、お客さんにご来場いただかなければお悩み相談も自作自演、自問自答するしかなくなってしまうということなので、その点何卒ご理解いただき、人助けのつもりでどうか遊びに来てください。お待ちしています。

  

※今日のパンはお休み。

メゾネットの家は子供にうける ※閑話休題

※あんまりねっとりセックスの話しばかり続くのもあれなので今回は閑話休題って感じで。



本日は娘(小3)の友達が4人、我が家に遊びに来た。彼らの目的はMINECRAFTを通信プレイすること。キューブを積み重ねて家を作るゲームなのだが小さい子供から大人まで大人気。
どこがおもしろポイントなのか今ひとつよくわからないのだが、BGMがすごくいいので子供たちがこれをプレイしている間はいい気分になる。

娘の友人の1人に、このゲームを最初に誰に教えてもらったのかと尋ねたところ、お父さん、とのこと。
「お父さんゲームするんだ、MINECRAFTの他にはどんなゲームするの?」と聞くと彼女、「うーん、ゴエモン」と。「…え?」念のため聞き返すと、やっぱり「がんばれゴエモン」と言う。

そのタイトル耳にしたの何十年振りだろう。お父さんいい趣味してるな。驚きとともにノスタルジー。


家でゴエモンをプレイするという娘の友人はなかなか面白い子で、「うわぁ、お金持ちのおうちって感じ!」と我が家にいたく感動してくれた。

築45年、排水管は老朽化し水もろくに流れない狭小住宅の一体どこにお金持ちを感じてくれたのか聞いてみると
「だって家の中に階段がある!」
と。
メゾネットで本当によかった。

ところで我が娘は子供ながらにマイペースを最優先する性格で、今日は学校で何して遊んだの?なんて聞くと、「滑り台の上に座って俳句考えてた」などと言う。
「遊ぼう〜」とお友達に誘われても、「今はちょっと…」、と控えめに断って1人でボールついてたりする。

本人はそれが楽しいんだから全然気にしてなかったけれども、珍しく友達が家にやってくると、それはそれで日頃なかなか垣間見ることのない娘の姿を見ることができて面白かった。


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で、これは子供たちが来ている間に焼いたブルーベリージャムの渦巻きパン。
子供たちは先日学校の授業で自家製酵母を使ったパン作りに挑戦したのだが、あいにく全然膨らまなかったそう。で、私の出したパンを食べて「あきこ先生のパンはふわっとしてる」なんて言うので可愛い。
「いいな〜、毎日手作りの美味しいパンが食べられて」と友人に声をかけられた娘は、「飽きるよ」と答えていた。